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こころのむくままきのむくままにげーむして遊ぶ日々
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1980/07/24
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(ほんとのほんとに)読書
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MMOを発明したひとは天才だと思う。
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わたしが小学生の頃、オアシス運動、というものがありました。

オやすみなさい、アりがとう、シつれいします、スいません、、、で、オアシスだったと記憶しています(ちがったっけ?


こどものころ「よいこと」とされたことが、おとなになると「そう単純によくないかもよー?」となることがいくつもあります。

また逆に、「わるいこと」とされたことが(以下略


ぱっといまおもいつくものとして、前者の代表例が「あやまること」、後者の代表例が「借金」でしょうか。


おとなになるまでは、お金を人から借りる、というのはできるかぎり避けるべきことである、と思っていました。

ほしいものが買えないときに両親や兄にお金を借りようとすると、

 「我慢して、買えるだけのお金が貯まってから、買いなさい」

とよくお説教されたものです。


そんな両親は当時ローンで自動車を買っていました(え?

兄はバイクや自動車や、さらには家までローンで買いました(ええ?

当時のわたしはけっこーナマイキなおこちゃまだったので、そーゆー彼らをみていて、

 「えーどうしてー?
  おかーさんやおとーさんやおにーちゃんたちは我慢してないじゃなーい??」

とかなんとかよく反論してたおぼえがあります (^^;


いまのわたしはローンというものがだいきらいです。

むかし、NIFTYサーブに入るためにパソコンがどーしてもどーしてもほしかったとき、うまれてはじめてクレジットカードを使って買い物をしました。

その返済を毎月するためにロッテリアでしたアルバイトがとても大変でした。

まさにこどものころのお説教「ほしいものはお金を貯めてから買いなさい」を今は徹底しています。

だから、こどもとおとなでこちらのお話は(個人的には)変わっていません。


ところが、もうひとつのお話「あやまること」については、いまはもうてってーてきに、できるかぎりさいごのさいごまでしない場合があります。

いつも謝らないわけではけっしてないです。

むしろ普段のわたしは「あやまりすぎじゃない?」ってくらいに謝りまくってます。

  すいません、ごめんなさい、はスッとくちからさいしょにでる言葉なのだ-x-。


では、どんなときには「あやまらない」のか?

ビジネスの場でです。

そして、法律の場でもです。

会社でお仕事をしているあいだは、他社の人はもちろんですが、自社の人たちに対しても謝りません。

たとえ自分のミスで迷惑を何かかけた場合であっても、自分以外の誰かのミスが原因でのトラブルの場合であっても、どちらもです。。(オニ?

謝るということは、すなわち「自分(自社)に責任がある」「だから、こちらで対応を行う」ことを認める、ということをビジネスの場では自動的に意味してしまいます。


個人的なレベルであれば、相手に迷惑をかけたなーとか、相手が時間的及び負荷的にくるしんでるなーこまってるなーとかとか、なったときには、

 「だいじょうぶですか、たすけましょうか?」

とするのが美徳というか自然なことだと思うデス。


でもでも、ビジネス的なレベルの場合、"わたしひとりが"仮にうごくのだとしても、うごくための時間や使うあれこれ(これをリソースと呼ぶ?)は、あくまでも"わたしの所属している会社が"お金を払って維持確保しているものであって、決して他社さんがお金を払ってくれる訳ではありません。

つまり個人的な好意であれこれすることは美徳ではありません。

わたしが一日当たり動ける(=働ける)お時間は8~10時間程度。

それ以上はムリです。

その時間におけるわたし自身の維持確保は、わたしが所属する会社がわたしに支払っているお給料、そして、わたしが自社の社員として動く為に必要なあれこれ(オフィスの維持、いろいろな研修、福利厚生、えとせとらえとせとら)もまた会社がお金を使って提供してくれているものです。

そのリソースを勝手にわたし個人の意志で使うことは許されません。


「あやまること」は、すなわち、「わたしが(あるいは自社の**が)***をします」ということを意味します。

これは決してわたしひとりできめてよい問題ではなく、そして仮にきめられるだけの権限がある業務であっても、できるかぎり策をつくして避けるべき、にげるべき、事象なのです(やっぱりオニ?


あー、でもねー、あ・き・ら・か・に、こっちの落ち度(とゆーか怠慢?)が原因なのに、その復旧といゆーかリスケジュールのためのあれこれを下請けさんにさせる、とゆーのは、ヒトとしてはどーかとおもうわよねぇ・・・(あうあう

たまーに「このアクマめ!!!」みたいな目でみられてるわぁ(きゃっきゃ)なーんて思うときあるものね (ーー;)

それでも「あやまらない」とゆーか「あやまれない」のだよ、ワトソンくん。

そーゆー仕組みに社会がなってるんだから、しょーがないじゃない、ねえ?(ね??

だからそーゆー目でわたしをみるのはやめておくれ・・・べつにすきでしてるわけじゃないのだから・・・。(といいつつ、定時に帰っちゃうワタシw

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うえのほーになるとジャンルはもう関係ないなーと思います。

わたしはいちおうシステム屋さん(のはず

でも、ここさいきん毎日してるのは、

 1. 会議
 2. 会議(おひ
 3. 会議(こらこら。。
 4. 飲み会

とまあ、こんな感じの日々だったりします( ̄▽ ̄)

  これってシステムかんけーないよねw


しらないひとにこれだけ言うと、「なんてうらやましー日々なんだ」とゆーひともいるかもしれません。

で・も・ね♪

会議でじゃーわたしがなにしてるかとゆーと、「人を説得すること」だったりします。

それだけ。

でも、これがいっっっっちばん、ストレスたまって、手を変え品を変え(品?)、ありとあらゆる知恵と勇気と裏技を駆使しまくらなきゃいけないことだったりするのデス!!!(わ、わかるー?


例えば相手がシステム屋さんの場合。

こっちが知らない(と思うらしい)横文字とか専門知識とかやたらとだしてきて、こちらを混乱させよーとします(システム屋Aはメダパニをとなえた!!!

むかしのわたちだったら、

 「本を読んだり研修行ったり開発経験つんで、対抗しなきゃ」

みたいな思考回路してたと思います。

でも、いまは、

 「・・・・ごめんね、よくわかんない。
  ちょっとこれはだしてきてくれたこの計画書でいいのかどうか判断そのものができない。
  わるいけどもうちょっとわかりやすく説明してくれるか、この前提の概念のレビューを先にしてくれないかなぁ?(はーと)」

とかなんとか口調はやさしく、でも言ってることはオニなことが平気で言えます。

言ってしまっても大丈夫。

こちらのOKがもらえなくて時間が経つとやう゛ぁいのはあっちであってこっちではない、とゆーのがわかっているからです(やるしかない?


例えば、相手が事務屋サンとか税理士サンとか監査のひととかだったりした場合。

 「SOX法的にはなんたらかんたららんららん」

とか、

 「個人情報保護法の観点からゆけばなんたらからららららん、らん♪」

とかとか、

ちねーたてまえばっかりならべたてるなーとゆー感じです。

わたしもにっこりわらってたてまえで同じく戦えるよーになりました。

 「業務的に可能な範囲とそうした専門的な誓約との折り合いをつけるのがあなた方の役割だと思うのです」

とかなんとか、そんな感じとかーとかーです。

おなじくこちらも主導権はわたしたちにあるとゆーことがわかっているから、ぜーんぜんもうこわくありません。


今の会社に入ってから、先輩が最初にわたしに教えてくれたことは、

 「相手がほしがっているものは何か?」

を把握してから、行動せよ、ということでした。

それができている人間とできていない人間では、もう戦力として全然違う、というのです。


上のシステム屋さんの場合、ほしいのはひとつしかありません。

お客さんであるわたしたちからの「完了承認」です。

それだけです。

「うん。これでOK」
「これだけの条件を満たしてくれるのなら、予算だせます」
「これこれこれだけしてくれれば、あなた方のお仕事は終わりです」

それだけ。

監査のひと等々もそこ "だけ" は変わりません。


だから、こちらが「うん」とクビをたてにふらないかぎり、なにをどーがんばろーと、あちら様はどーにもなりません(∂ ∂)

決定権が自分にあること。

それだけを忘れなければいいのです。


・・・といいつつ、そこは人間関係。

本来であれば自分よりも5歳も10歳ももっとそれ以上も年上のひと相手に、そうそう高圧的なことばっかりしてられません。

受注側は受注側なりにその気になればいろいろ発注側にいじわるをする余地が多々あるわけで、できるかぎり(みためだけでも)友好的なかんけーになっておかなければならないのです。

相手をおいつめすぎないよーに、かつ、こちらの要求は全部とーすよーに、おいつめて落とすのです。

わたしはさいきんコレを「詰め将棋」とひそかに心中呼んでいますw

そしてほんとに詰め将棋習いにいこっかなーとも思い始めていまふ(えええ!?


飲み会は「お給料のでないかわりにお代金を会社がおごってくれるお仕事」と心中おなじく呼んでいます。

りっぱなお仕事です、コレ(ぜんぜんりっぱじゃないケド;-;

だってだって、のみにいくのは取引先のひとたちとか、おなじ会社の関係者のひとたちとか、そんなのなんだもん。。

たまーにそうじゃない仲のいいひとたちとの飲み会もあるけど、そんなのほんとにまれだしぃ。

そもそもたとえ仲がよくたって、いっしょにしごとしてるいじょーまったくしごとと無縁じゃいられないしぃい(しゃぎゃー!!!


あーもーヤダ(じたばた

「さいきんおもしろいことはなんだ、Wowだと、はぁ?、ちょっと30文字以内でどうおもしろいのか説明してみなさい」とかいってわたしをいじめるじゃじゃすちゃんとかと飲みにいくときはたのしーけどー。

あとの飲み会はほんとヤダ(あうあう


でもさいきんこーいう飲み会きらいじゃなくなってきたきがするのよねぇ

  きけん?

や、やだなぁ、詰め将棋べんきょーしたり、お仕事系飲み会きらいじゃなくなってきたり、あー若者じゃないわぁ(ひいい

わかさ、、、わかさってなんだろー。

 

あるひとつのシステムを開発しようとするとき、または、改修しようとするとき、ふつープロジェクトマネージャー(=部長クラス)の下にプロジェクトリーダー(=課長~主任クラス)がつき、さらにその下にサブリーダー(=いまのわたし~♪)がつき、その下に実作業をする外注or下っ端ーズさんたちがくっつきます。

とはいっても、実際の作業のほとんど大半はいちばん下のひとたちがしてくれるので、リーダーのひとたちは「あれしてね」「これしてね」などなど指示したり「これだめー」などとダメダシするだけのことです(あうあう


これがねーけっこーストレスなのです。

下にいて一生懸命作業してる人たちからすると、「リーダーさんたちは楽そうだよなあ」と思っているのは、(昔の自分の経験からしても)よーくわかっちゃったりするのですが、実際に自分がその立場になってみるとそんなことはぜんぜんありませんでした。


だってねー。

作業が遅れたり失敗したりした場合、もちろんその作業を実際にしてた人たちは査定が下がったりするわけだけど、それはある意味では納得 ができるお話なのです。

もちろん、「こんなのできっこないじゃん!!」的な感じのお仕事でそんなお話になったら、、、というか、よくなるのですけど、それはむかむかさんなことだと思いますが、それでもその場合にはそんなお仕事をよこした上司のさらに上の上司に不意打ちで、「これこれこーいう理由で失敗したのです。これって全部わたしの責任なのでしょうか?」みたいな感じで訴えちゃうとゆー最終手段があります(よくしたにゃw


これされるのは上司のひとにとってはいちばんやう゛ぁいことで、これをされると管理能力がないと判断されてひじょーにたいへんなめにあいます。

さいわい、いまのところわたしは部下(っていうほどじゃないんだけど・・・)のひとたちからそーしたことをされたことはありません(ほ


そんなわたしですが、とにかくなにかトラブルがあるごとにこう思います。

 「自分でしてたらこんなミスしない」

 「もっとはやく終わらせられる自信あるのにぃ」

などなどー。


わたしよりも能力のある外注の方はもちろんいらっしゃいます。

でも同時に、明らかに能力がひくすぎるんじゃない!?、とゆー方もいたりするのです(うぅ

しかも、リーダーというポジションは、気を配らなければならない範囲がめちゃめちゃ広いのです。

なんというか頭のキャパシティを超えたところに目標がつねに設定されているのですねー(なぜ!!!

なので知力がその果てしない範囲にどんどん拡散されて、部分部分ではとってもうすいスープみたいになってしまうことも知りました。


むかしリーダーのひとたちがおばかだったり忘れたりしてることがあまりに多いので、

 「ばかなんじゃないの?
  なんでそんなことも忘れたり気がつかなかったりしなくて、リーダーなんてしてるのよ?」

と怒っていたことがよくありました。


リーダーに実際になってみてよくわかります。。

上に上がった以上、その人が無能だったなどということは(まれにあるかもだけど)ほとんどの場合ありません。

少なくともふたつみっつのプロジェクトには参加し、それなりにそれらを成功させるか、失敗させても終息させるだけの経験は積んできた人たちのはずなのです。


でも、狭く深くみていればいい実作業者とちがって、広く浅くみなければならない(またその範囲が広いのら;;)リーダーというのはその一点だけでみてみれば実作業者に追いつくのは並大抵ではありません。


さらに輪をかけてリーダーを追いつめるのが、最近のトレンドです。

どこの情報雑誌をみても、そうした関係のサイトをみても、あるいは求人などをみても、でてくる単語は「UNIX」「オープン系」「JAVA」「SQL」といった感じで、つまりは先進的で今風の技術を持った人が求められ、研修や情報もそうしたものばかりです。

ところが、現実のシステムに携わるモノたちに、まるで妖怪のよーにべったりと足下からはりついてきて離れない悪夢があります。


それは「汎用機」の影。。

いまどきの若手技術者で、JCLだのCOBOLだのといったお話を体系的に習ったことのあるひとなどいませんし、そもそも汎用機に関する情報そのものがなかなか手に入りません。


参考書すら本屋さんにおいてないしねー?

でも、ちょっとでも深くシステムの世界にはいろうとすると、確実に関係してくるのです。汎用機。

いまだに日本の多くの企業では汎用機が現役で動いていて、その知識なしではどーしても困る場面がほぼ必ずでてくるのです。

でてきても情報がはいってこないし、そもそもそんな技術は時代遅れだと思っていますから、きちんと本腰入れて勉強する気にもなかなかなれません。


だって、これからどんどん衰退して数が減って、案件が少なくなっていくことが確実な技術を習得するためにお金と労力を使おーって思います?

ふつー思いません。

とくに技術者は皆ココロのどこかで「手に職」志向とゆーか、「最終的には身につけてるスキルで勝負が決まる」ということをひしひしと日々感じている人種なので、それはかなりイヤすぎなお話なのです。


汎用機は、各機種毎に知識に互換性があまりなくて、たとえば、IBMの汎用機に詳しいからといって、富士通の汎用機に(そのままは)通用しなかったりします。

そして非常にわかりにくくて、ノウハウの蓄積やドキュメントの整備が行われにくい技術なのです。

そもそもそーいう汎用機のわるいところをなんとかしよーという観点から、それなりの年月をかけて生まれてきたのが、今流行のオープン系なのであって、その文化に慣れ親しんできた私たちにとっては、イヤでイヤでしょーがないお話だったりするのです。


うぅ。

はやくなくならないかなぁ、汎用機・・・。

でも、なくすためには、いま汎用機でうごいてるシステムをぜんぶオープン系につくりかえないといけないのよねー(ぱた


あと100年後に生まれてくればよかたなー。

そしたら汎用機が完全にのせかえおわった世界でのシステム開発ができるのにぃ;-;

って、そのころには、日本そのものが中国とかインドとかに追い抜かれて、下請けに落ちぶれてる可能性あるんだけど・・・さ。。

 

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