カレンダー
カテゴリー
最新記事
(08/22)
(07/31)
(06/28)
(06/28)
(06/28)
プロフィール
HN:
みここ
年齢:
45
性別:
女性
誕生日:
1980/07/24
職業:
情報コンサルタント
趣味:
(ほんとのほんとに)読書
自己紹介:
MMOを発明したひとは天才だと思う。
ブログ内検索
最古記事
(06/11)
(10/05)
(10/10)
(10/10)
(10/10) |
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 わたしが小学生の頃、オアシス運動、というものがありました。 オやすみなさい、アりがとう、シつれいします、スいません、、、で、オアシスだったと記憶しています(ちがったっけ?
また逆に、「わるいこと」とされたことが(以下略
ほしいものが買えないときに両親や兄にお金を借りようとすると、 「我慢して、買えるだけのお金が貯まってから、買いなさい」 とよくお説教されたものです。
兄はバイクや自動車や、さらには家までローンで買いました(ええ? 当時のわたしはけっこーナマイキなおこちゃまだったので、そーゆー彼らをみていて、 「えーどうしてー? とかなんとかよく反論してたおぼえがあります (^^;
むかし、NIFTYサーブに入るためにパソコンがどーしてもどーしてもほしかったとき、うまれてはじめてクレジットカードを使って買い物をしました。 その返済を毎月するためにロッテリアでしたアルバイトがとても大変でした。 まさにこどものころのお説教「ほしいものはお金を貯めてから買いなさい」を今は徹底しています。 だから、こどもとおとなでこちらのお話は(個人的には)変わっていません。
いつも謝らないわけではけっしてないです。 むしろ普段のわたしは「あやまりすぎじゃない?」ってくらいに謝りまくってます。 すいません、ごめんなさい、はスッとくちからさいしょにでる言葉なのだ-x-。
ビジネスの場でです。 そして、法律の場でもです。 会社でお仕事をしているあいだは、他社の人はもちろんですが、自社の人たちに対しても謝りません。 たとえ自分のミスで迷惑を何かかけた場合であっても、自分以外の誰かのミスが原因でのトラブルの場合であっても、どちらもです。。(オニ? 謝るということは、すなわち「自分(自社)に責任がある」「だから、こちらで対応を行う」ことを認める、ということをビジネスの場では自動的に意味してしまいます。
「だいじょうぶですか、たすけましょうか?」 とするのが美徳というか自然なことだと思うデス。
つまり個人的な好意であれこれすることは美徳ではありません。 わたしが一日当たり動ける(=働ける)お時間は8~10時間程度。 それ以上はムリです。 その時間におけるわたし自身の維持確保は、わたしが所属する会社がわたしに支払っているお給料、そして、わたしが自社の社員として動く為に必要なあれこれ(オフィスの維持、いろいろな研修、福利厚生、えとせとらえとせとら)もまた会社がお金を使って提供してくれているものです。 そのリソースを勝手にわたし個人の意志で使うことは許されません。
これは決してわたしひとりできめてよい問題ではなく、そして仮にきめられるだけの権限がある業務であっても、できるかぎり策をつくして避けるべき、にげるべき、事象なのです(やっぱりオニ?
たまーに「このアクマめ!!!」みたいな目でみられてるわぁ(きゃっきゃ)なーんて思うときあるものね (ーー;) それでも「あやまらない」とゆーか「あやまれない」のだよ、ワトソンくん。 そーゆー仕組みに社会がなってるんだから、しょーがないじゃない、ねえ?(ね?? だからそーゆー目でわたしをみるのはやめておくれ・・・べつにすきでしてるわけじゃないのだから・・・。(といいつつ、定時に帰っちゃうワタシw PR うえのほーになるとジャンルはもう関係ないなーと思います。 わたしはいちおうシステム屋さん(のはず でも、ここさいきん毎日してるのは、 1. 会議 とまあ、こんな感じの日々だったりします( ̄▽ ̄) これってシステムかんけーないよねw
で・も・ね♪ 会議でじゃーわたしがなにしてるかとゆーと、「人を説得すること」だったりします。 それだけ。 でも、これがいっっっっちばん、ストレスたまって、手を変え品を変え(品?)、ありとあらゆる知恵と勇気と裏技を駆使しまくらなきゃいけないことだったりするのデス!!!(わ、わかるー?
こっちが知らない(と思うらしい)横文字とか専門知識とかやたらとだしてきて、こちらを混乱させよーとします(システム屋Aはメダパニをとなえた!!! むかしのわたちだったら、 「本を読んだり研修行ったり開発経験つんで、対抗しなきゃ」 みたいな思考回路してたと思います。 でも、いまは、 「・・・・ごめんね、よくわかんない。 とかなんとか口調はやさしく、でも言ってることはオニなことが平気で言えます。 言ってしまっても大丈夫。 こちらのOKがもらえなくて時間が経つとやう゛ぁいのはあっちであってこっちではない、とゆーのがわかっているからです(やるしかない?
「SOX法的にはなんたらかんたららんららん」 とか、 「個人情報保護法の観点からゆけばなんたらからららららん、らん♪」 とかとか、 ちねーたてまえばっかりならべたてるなーとゆー感じです。 わたしもにっこりわらってたてまえで同じく戦えるよーになりました。 「業務的に可能な範囲とそうした専門的な誓約との折り合いをつけるのがあなた方の役割だと思うのです」 とかなんとか、そんな感じとかーとかーです。 おなじくこちらも主導権はわたしたちにあるとゆーことがわかっているから、ぜーんぜんもうこわくありません。
「相手がほしがっているものは何か?」 を把握してから、行動せよ、ということでした。 それができている人間とできていない人間では、もう戦力として全然違う、というのです。
お客さんであるわたしたちからの「完了承認」です。 それだけです。 「うん。これでOK」 それだけ。 監査のひと等々もそこ "だけ" は変わりません。
決定権が自分にあること。 それだけを忘れなければいいのです。
本来であれば自分よりも5歳も10歳ももっとそれ以上も年上のひと相手に、そうそう高圧的なことばっかりしてられません。 受注側は受注側なりにその気になればいろいろ発注側にいじわるをする余地が多々あるわけで、できるかぎり(みためだけでも)友好的なかんけーになっておかなければならないのです。 相手をおいつめすぎないよーに、かつ、こちらの要求は全部とーすよーに、おいつめて落とすのです。 わたしはさいきんコレを「詰め将棋」とひそかに心中呼んでいますw そしてほんとに詰め将棋習いにいこっかなーとも思い始めていまふ(えええ!?
りっぱなお仕事です、コレ(ぜんぜんりっぱじゃないケド;-; だってだって、のみにいくのは取引先のひとたちとか、おなじ会社の関係者のひとたちとか、そんなのなんだもん。。 たまーにそうじゃない仲のいいひとたちとの飲み会もあるけど、そんなのほんとにまれだしぃ。 そもそもたとえ仲がよくたって、いっしょにしごとしてるいじょーまったくしごとと無縁じゃいられないしぃい(しゃぎゃー!!!
「さいきんおもしろいことはなんだ、Wowだと、はぁ?、ちょっと30文字以内でどうおもしろいのか説明してみなさい」とかいってわたしをいじめるじゃじゃすちゃんとかと飲みにいくときはたのしーけどー。 あとの飲み会はほんとヤダ(あうあう
きけん? や、やだなぁ、詰め将棋べんきょーしたり、お仕事系飲み会きらいじゃなくなってきたり、あー若者じゃないわぁ(ひいい わかさ、、、わかさってなんだろー。
あるひとつのシステムを開発しようとするとき、または、改修しようとするとき、ふつープロジェクトマネージャー(=部長クラス)の下にプロジェクトリーダー(=課長~主任クラス)がつき、さらにその下にサブリーダー(=いまのわたし~♪)がつき、その下に実作業をする外注or下っ端ーズさんたちがくっつきます。 とはいっても、実際の作業のほとんど大半はいちばん下のひとたちがしてくれるので、リーダーのひとたちは「あれしてね」「これしてね」などなど指示したり「これだめー」などとダメダシするだけのことです(あうあう
下にいて一生懸命作業してる人たちからすると、「リーダーさんたちは楽そうだよなあ」と思っているのは、(昔の自分の経験からしても)よーくわかっちゃったりするのですが、実際に自分がその立場になってみるとそんなことはぜんぜんありませんでした。
作業が遅れたり失敗したりした場合、もちろんその作業を実際にしてた人たちは査定が下がったりするわけだけど、それはある意味では納得 ができるお話なのです。 もちろん、「こんなのできっこないじゃん!!」的な感じのお仕事でそんなお話になったら、、、というか、よくなるのですけど、それはむかむかさんなことだと思いますが、それでもその場合にはそんなお仕事をよこした上司のさらに上の上司に不意打ちで、「これこれこーいう理由で失敗したのです。これって全部わたしの責任なのでしょうか?」みたいな感じで訴えちゃうとゆー最終手段があります(よくしたにゃw
さいわい、いまのところわたしは部下(っていうほどじゃないんだけど・・・)のひとたちからそーしたことをされたことはありません(ほ
「自分でしてたらこんなミスしない」 「もっとはやく終わらせられる自信あるのにぃ」 などなどー。
でも同時に、明らかに能力がひくすぎるんじゃない!?、とゆー方もいたりするのです(うぅ しかも、リーダーというポジションは、気を配らなければならない範囲がめちゃめちゃ広いのです。 なんというか頭のキャパシティを超えたところに目標がつねに設定されているのですねー(なぜ!!! なので知力がその果てしない範囲にどんどん拡散されて、部分部分ではとってもうすいスープみたいになってしまうことも知りました。
「ばかなんじゃないの? と怒っていたことがよくありました。
上に上がった以上、その人が無能だったなどということは(まれにあるかもだけど)ほとんどの場合ありません。 少なくともふたつみっつのプロジェクトには参加し、それなりにそれらを成功させるか、失敗させても終息させるだけの経験は積んできた人たちのはずなのです。
どこの情報雑誌をみても、そうした関係のサイトをみても、あるいは求人などをみても、でてくる単語は「UNIX」「オープン系」「JAVA」「SQL」といった感じで、つまりは先進的で今風の技術を持った人が求められ、研修や情報もそうしたものばかりです。 ところが、現実のシステムに携わるモノたちに、まるで妖怪のよーにべったりと足下からはりついてきて離れない悪夢があります。
いまどきの若手技術者で、JCLだのCOBOLだのといったお話を体系的に習ったことのあるひとなどいませんし、そもそも汎用機に関する情報そのものがなかなか手に入りません。
でも、ちょっとでも深くシステムの世界にはいろうとすると、確実に関係してくるのです。汎用機。 いまだに日本の多くの企業では汎用機が現役で動いていて、その知識なしではどーしても困る場面がほぼ必ずでてくるのです。 でてきても情報がはいってこないし、そもそもそんな技術は時代遅れだと思っていますから、きちんと本腰入れて勉強する気にもなかなかなれません。
ふつー思いません。 とくに技術者は皆ココロのどこかで「手に職」志向とゆーか、「最終的には身につけてるスキルで勝負が決まる」ということをひしひしと日々感じている人種なので、それはかなりイヤすぎなお話なのです。
そして非常にわかりにくくて、ノウハウの蓄積やドキュメントの整備が行われにくい技術なのです。 そもそもそーいう汎用機のわるいところをなんとかしよーという観点から、それなりの年月をかけて生まれてきたのが、今流行のオープン系なのであって、その文化に慣れ親しんできた私たちにとっては、イヤでイヤでしょーがないお話だったりするのです。
はやくなくならないかなぁ、汎用機・・・。 でも、なくすためには、いま汎用機でうごいてるシステムをぜんぶオープン系につくりかえないといけないのよねー(ぱた
そしたら汎用機が完全にのせかえおわった世界でのシステム開発ができるのにぃ;-; って、そのころには、日本そのものが中国とかインドとかに追い抜かれて、下請けに落ちぶれてる可能性あるんだけど・・・さ。。
|