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こころのむくままきのむくままにげーむして遊ぶ日々
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1980/07/24
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MMOを発明したひとは天才だと思う。
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そりはもーかんたん。

一流大学でれば、自然といい会社にはいれま・・・・す、とはいかないのが世の難しさ。

わたしは実際にそーいうひとをしっていますが、東大でてたってガードマンを仕事にしてるひといるくらいです。

どんなにいい大学をでてても、(筆記試験はともかく)面接で面接官に「この子いらない」と思われればとってもらえません。

バブルのころなら別だったと思うけどねー。

そのバブル期入社組の子たちも、いまは若年リストラ対象。

結局、実力がともなっていないと、駄目ってコトでふ(うう


だけどね。

大学に入るためにずーっと勉強するその勉強内容ってば、実社会の仕事にまったく無関係なわけじゃないけど、かといって それで実戦に入れるかというとそんな内容ではありませぬ。

学生の頃は学校の人気者で優等生、だったひとが、社会にでたら落伍者。

とかー。

逆のおはなしも、社会ではいっぱいありふれています。


もちろん、学生のころのまま社会でも高い地位を保ってる人もいっぱいいますけど、そーいうひとはみていると生まれがちがいます。

うまれがちがう、というのは、実家にお金があるとか、生まれつき高い能力(みためとか頭とかねー)をさずかってるとか、といったお話で、多数派のひとたちはこれにはあてはまりません。


じゃ、結局のところ、どうすれば確実に「いい会社」にはいって、いい一生を送れるのか?

でございますね。

一部の知識人のひとたちは「いい会社にはいることがいい一生につながるわけではない」といいますが、そりゃものごとには なんでも例外があります。

でもふつーに考えて、世の大半のひとにとっては、やっぱりそれがいちばん確実な幸せになるための近道でございます。


自慢じゃありませんが、わたしのでた大学は三流の国立大学です。

わたしはっきりいって勉強できました。

高校二年生までは・・・。

二年生の後半頃、まあ、思春期によくありがちなお話があって、そっちに夢中になってしまいました。

勉強なんて全然しなくなったですよ、はい(むー

そのひとには三年生になってすぐふられちゃったのですけど、そのあと現実にもどって愕然!!!

ほぼ半年くらいまーったく勉強しなかったわたし。

学力テストの結果はおそろしいくらいに下がり。

半年のブランクはとんでもない人生の現実をわたしにみせてくれました。

それまでわたしが勉強教えていた子に、逆に「ねえねえここって」と教えを請う日々。

うぅ。

おのれ、だましたなー(いあ、ちがうけど

いまかんがえれば、あのひとがわたしのことをふったのも、理由がわかります。

わたしはただ夢におぼれていて、全然現実からにげていました。

あのひとはちゃんとわたしとつきあいながら勉強もしていました。

ほかにもいろいろ努力していました。

でも、わたしは楽しくて楽しくて、あのひとのその邪魔ばかりしていました。

あほです。

そりゃーふられます(あほ女だから!!!

しくしく(タイムスリップできたらにゃーって、したくないわんっ!!!!きー


わたしにはひとつの夢がありました(ほかにも

それは「婦警さん」になることでした。

うちの兄は番長です(うわー・・・

そんなバイオレンスな兄は、小学校低学年のわたしにいきなし空手を習わせました。

段をとると、つぎに強制的に柳生流剣術を習わせました。

なにかんがえてたのかうちの親は反対しませんでした(なぜ!?

いちおー文学少女の仲間だったはずのわたしは、高校の頃には立派なバイオレンス少女になっていました。。


バイオレンス少女はしかしながら不良にはなりませんでした。

かわりに、風紀委員になりました(反面教師よ。おにーちゃんありがとー♪

そして、一生風紀委員したいとおもいました(うわぁ


警察官採用試験を受けるには、高校卒業以上かまたは大卒かで選択できます。

親戚に警察官してるひとがいると受かりやすい、というお話を聞きました。

わたしにはそんなひといません。

近所のおじさんで元警察官(汚職かなにかでクビになって、不動産屋さんしてるひと)がいました。

このひとのお話によれば、「高卒の警察官は大卒の警察官に犬のように扱われる」とのことでした。

いぬ!?

いぬはやだー(わーん!!!

大学に行こうとおもいました。


とにかく大卒ならなんでもいいのよねーと思って、センター試験後、いちばん受かりやすそうなところに願書だしました。

あっさり二次試験受かりました。

はれて大学生になりました(ばんざーい


そして、4年後。

警視庁警察官採用試験を受けました。

一次試験楽々とっぱ(この4年間はしっかり勉強してたのだ。ほほほー

二次試験の運動系も楽々とっぱ(身体が資本よ!!!

そのあときたのが、運命の面接試験でした。


・・・。

わたしはうそがつけないひとでした。

いまのわたしなら当時のわたしにこういってアドバイスするでしょう。

「うそひとつつけない人間が、会社の(このころなら社会の)役にたつと思う?」

「たかが15~30分の面接試験の場で、相手に自分をきちんとアピールすることすらできない人間が、会社の役にたつと思う?」

うそをつけないわたしは。

ありのままに日頃思っていることを面接官の人にいいました。


ドラマではよく、こーいうことをするひとが、面接官の人に感銘を与えるみたいな場面があります。

でもそんなこたー実際の面接では(ほぼ)ありえません。

面接官の人は、わたしたちが言ってることがほんとかうそかなんてどうでもいいらしい(と、人事のひとが言ってた)のです。

ただ自分がなにをききたいのかをきちんと察して、それに即した解答をどれだけうまいことできるか?

つまり、場を読む力、あるいは自分をアピールする力、つまりはどれだけ人格が練れているか、をみているのだそうです。


人格が練れていない人間など組織には必要ありません。

そして、その時点で能力が足りなくても、人格さえきちんとしていれば、あとでいくらでも学んでいくことが出来ます。

ここでいってる人格とは、「いいひと」の人格ではないそうです。

わたしが会社で仕事をするようになってから、ある先輩からこういわれました。

「善人は自分だけを幸せにする。自分は善人であることに満足できるから。
 でも、悪人は自分と他人は不幸にするが、身内を幸福にする。
 きみはどちらを選ぶ?
 生きていく以上、どちらかしか選択肢はない」

このころのわたしは前者でした。

面接に落ちました。

そのあと、あわてて民間企業を受けましたが、ぜんぶ落ちました。

当然です。

いまのわたしは面接のための指導を人事のひとからまかされることもあるくらいですが、そのわたしからみて当時のわたしの

面接なんてみられたものじゃなかったと思います。


そして、わたしがなんとかはいることができたのは、当然「ひどい会社」でした。

あるシステム開発の零細企業。

大手企業の3~5次下請けくらいのところです。

残業代は一銭もでません。

でも残業時間は月150時間くらいありました(もっとかも?

親会社のひとたちからはバーのホステスみたいに(実際みたことないけどw)扱われました。

当時はセクハラだめよ関係のお話とか全然ありませんでした。

といっても、身体をさわられたりとか、そーいったことはさすがにありませんでした。

でも、そのころの直属の親会社の上司(わたしたちは課長と呼んでいた。別に役職かちょーじゃなかったのだけど・・・なんとなく?)

には、ろこつなくらいに誘われました。

ことわるたびにへんな仕事押しつけられました。

ほんとにじょーだんぬきで殺してやろうかと思ったこと何度もあります。。。


そこで登場するのが先述の先輩でした。

先輩というか、契約社員のひとなのですが、まあ実際の感じは正社員も契約社員も変わりません(零細企業だしね

彼は小学校すらでてないひとでした。

いろいろすさまじい生い立ちを経てきているらしく、普段はおだやかなのですが、たまに発する先述のような言葉はものすごく重みがあって、胸にぐっさりときました。

あとできいたお話では、もうほんとに社会の最底辺のようなお仕事(893がらみ系からなにから)もしたことがあったそうなので、

たぶんコロスかコロされるかって世界も経験があったのでしょう(たまにすごいオーラをはなつときがあったの


先輩はわたしをいぢめました。

いぢめるといっても、課長とはちがい、理不尽なことはありませんでした。

ただそのときわたしができる仕事より、かならずつねにすこしだけ上の仕事を与えるのです。

そして、わたしがそれを(当然)できなくて夜遅くまで残業してると、それにつきあってくれました。


(残業代もらえない)正社員のわたしとちがって、先輩は残業すればするほどお給料が増えました。

なので、わたしに面と向かって、「おかげで今月はほくほくだ」みたいなことをいいました。

このやろーと内心思っていましたが、でもこの先輩がわたしは好きでした。

たぶん生涯ふたりめの好きになったひとだと思います。


残念ながら先輩はすでに結婚していて、お子さんが5人もいました(しくしく。。。子だくさんだしぃ。。

奥さんは東北のほうの旧家のひとで、家族写真をみせてもらうとすっごい大豪邸に住んでいました。

「どうしてこっちで仕事してるんですか?」とわたしがきくと、「こっちのほうが給料がいいから」とか、いろいろ理由はありました。

でもこれもあとで知ったのですが、先輩のお父さんが病気で、いい病院が東北にはなかったのですねー。

お母さんのことは絶対に先輩は話してくれませんでした。

なんとなく察するところがあったので、わたしも絶対ききませんでした。


先輩にきたえられているうちに、わたしはいつのまにかたいていの開発言語が使えるようになっていました。

警察官になろうと思っていたわたしです。

コンピューターなんてコの字も(はおおげさかな。。。でも、パソコン通信くらいしかできなかた)しらなかったわたしは、それなりに

親会社のひとたちから評価を受けるくらいになりました。


プログラマーとしてのレベルは満たしたので、つぎに先輩はシステムエンジニアとしてのお話を教えてくれるようになりました。

先輩の教え方というのは基本的にはすごいスパルタで、とにかくいきなりその仕事にほおりこむのです。

そして、失敗させます(わざとさせるわけじゃないけど、するにきまってるよねー。

ただそこで先輩がほかのひとたちとちがったのは、先輩はそこで「失敗したことを書いてね」と言うのです。

書く・・・?


「人間は書かないと覚えない」というのが先輩の持論でした。

いろいろな参考書に書いてあることも、赤線ひくだけじゃだめで、「必ずどこかに書き直してね」と言うのです。

めんどいなーと思いながら書いてましたが、これがあるときすごい効果をもたらしてることにきがつきました。

たしかに、書いたことだと、ぜんぶ覚えているのです。


しかも先輩は失敗したことを書いた後、その解決策(by先輩)も書いてねーと言いました。

がんばって書きました。

そのうち、わたしは先輩の思考回路のようなものをみにつけるようになりました。

言葉にするとちがってしまうのが難しいのですが、プログラマーとシステムエンジニアの違いがわかりました。

どれだけ多くを知っているか、がプログラマーの力の源のひとつです。

でも、システムエンジニアの力の源は「考え方」でした。

考え方というか、「***ということがあったときは、さいしょにまず***をして、つぎに****をすべきであろう」というその思考の流れ方です。

こればっかりはどんな参考書を読んでもだめですし、そもそも解答も100人いれば100通りです。

ただ、やっぱり近似値というか、それなりの範囲内での解答が現実に即している場合が多いので、毎回とにかく仕事に投げ込まれて失敗し、そのとき自分がだした解答と先輩の解答の差異を教えてもらう、という繰り返しはものすごくためになりました。

もちろんこれはあとで自分がかつての先輩の立場になったときにちょっと微笑しながらわかったことで、当時はそれどころじゃありません。

ただ、あえて未経験の仕事を任せることで、そして当然失敗させることで、そのときのお客様がどれだけ忍耐強く待ってくれたか、を 教えて貰うことで、言葉だけではない実感としての「お客様を大切に思う気持ち」は生まれますし、それはもう経験するしかありません。


先輩の思うつぼ、という感じだったですねー。


そしてある日気がついたのです。

「あれ、わたしのほうが親会社の担当者のひとたちよりも、能力上じゃない・・・?」ということに。

慢心してるのかなーとおもって、先輩にそれとなくきいてみました。

「あたりまえですね」と返されました。


そう。

命じられるままにシステム開発における理不尽をすべて押しつけられて月300時間近く働き続けなければならない下請けの人間は、やがて親会社の担当者さんたちよりも必然的に能力が上がってしまうのでした(おお!?

そのことを経験豊富な先輩はよくわかっていて、ただ、ふつうはそこまでいくまえに逃げちゃうのだそうです。

それを先輩はわたしに(あえて)許しませんでした。


後輩の子がはいってきても、その子にわたしがそれをさらに押しつけることを絶対に許しませんでした。

正直、他のチームのわたしの同期のひとたちはすでにそうしていましたから、先輩のことを恨んだこともあります。

それでも、先輩はむしろ後輩の子が本来ひきうけなければならないはずの理不尽までもわたしにさせ続けたのでした。


ある日、先輩はわたしに「転職活動しなさい」みたいなことを言って、会社との契約を終了してしまいました。

何回かそのあと待ち合わせてごはんたべにいったりはしましたが、もうそれだけでした。


先輩がいなくなった会社は急につまらなくなりました。

それまで我慢できた数々の理不尽が全部我慢できなくなりました。

わたしは行政書士の資格を持っています。

労働基準法それなりに知ってます(みんな知ってると思うケド

時間外労働賃金、休日労働賃金、そして有給休暇。

約束されたそれらはわたしたちにはすべて支払われていませんでした。

わたしは労働基準署に証左となる勤務月報すべてをもって駆け込み、俗に言う「匿名の調査依頼」をしました。

会社は査察を受け、わたしたちにすべてを支払いました。

このときの経験は、のちの行政書士事務所でのアルバイトに大いに生きることになりました(これも先輩のおかげよねー・・・はうう♪

全社員と退職社員への過去2年間分の全額一括支払いはかなり苦しかったみたいで、その後、会社の売上額は明らかに落ちました(時間外手当の請求権は2年が時効

まえとちがってきちんとイロイロし払わなければならなくなったので、同じように仕事を受けられなくなったからです。

そこで会社は別作戦を立てました。

裁量労働制、みなし残業制、残業手当の一定料金化、などです。

これらは合法的にサービス残業を社員にさせるための方法でした。

わたしはこれには対抗しようがないことをよく知っていました。


転職活動開始。

よく転職活動をいまの会社を辞めた後にする人がいますが、これは絶対にしちゃだめなお話です。

転職活動をしながらする前と同じ仕事なんてできるわけがありませんので、当然現職の会社からは「さいきん仕事に身が入ってないな」みたいなお話はでて、怒られたりイヤミ言われたりはするでしょう。

でも、いい会社に巡り会うには、タイミングと運が必要です。

すぐ巡り会うことができるひともいれば、長くかかるひともいます。

その間ずーっと無収入(あるいは低収入)だったら、あせって、いい会社に巡り会う前に内定を決めてしまいます。

それだけはしてはいけません。


有給とりまくりました。

病気にもいっぱいなりました。

会社はあやしんで、でも「きみ会社やめるの?」とも言い出せないみたいで、急にわたしの美しい未来像みたいなことをよく言うように なりました。

何年後かには幹部になってほしい、みたいなお話がでました。

やたらと飲みに誘われるようになりました。


そして、ある会社様からご内定を頂きました。

お客さんとシステムエンジニアとして折衝しているうちに、うそもつけるようになったからです。

うそ、というのは、本当の意味でのうそではなくて、つまりはセールストークという意味です。

システムエンジニアとしては自分の所属する会社を売り込むためのセールストークをひたすらしてましたが、それを自分に応用するのは ごく簡単なことでした。


年収が一気に増えました。

あたりまえです。

いままではシステムエンジニアの仕事をしていながら、プログラマーのお給料しかもらってなかったのですから。

時間外手当をいただけるようになったのですから。

それ相応の基本給と、その他諸々の手当を頂けるようになったのですから。


わたしは急速に「年収を上げる」というゲームが楽しくなりました。


そう、これはゲームです。

なぜなら、現実の世界では、べつに能力があるから年収が高いわけでも、能力がないから年収が低いわけでもない、ということがよく わかったからです。

要は自分の立ち位置の問題、所属する会社の問題、ただそれだけなのです。

おなじ能力があっても、目の前に差し出してもらえる仕事の内容が儲からない内容なら、年収は低い。

儲かる内容なら高い。

ただそれだけのこと。


もちろん、その仕事をこなす能力がなければ、高い年収もらえません。

大学卒業したばかり(あるいは卒業予定)の子たちが、将来的にそのこなす能力を身につけられるかどうかはまったくの未知数です。

ただ、身につけてくれる人材の補充は会社としてはどうしても必要です

だから、できるかぎりその可能性の高い新入社員がほしいと思うから、会社はより一生懸命勉強しないと入れなかったはずの大学の 子たちをほしがるし、手を変え品を変え謎な心理テストをし、試験をし、そして面接をするのです。


でも、目の前にすでにその能力があることを(過去の実績で)証明している人材がいるとします。

そのひとの卒業大学が三流であろうと、前の会社が下請けの下請けのまた下請けの名前も聞いたことのない零細企業であろうと、 そんなことは会社にとってはどうでもいいことです。


そしてわたしは、かつての就職活動時代には書類選考すら通らなかった会社の社員となりました。

その後も、次々にわたしは転職を続けました。


はっきり言います。

おなじ会社で3年頑張るよりも、いいところがあればどんどん転職しちゃったほうが、年収は上がります。

こりはあたまもわるくて要領もわるすぎなわたしが身をもって証明した事実です。


転職というとちょっと語弊がありますね。

職変わっちゃ駄目です。

おなじ職種で、ただ、前よりもランクが上の会社に籍を移すだけです。


先日、わたしは最初の会社の頃の同僚にばったり会いました。

どこで?

協力会社(よーするに下請け会社)から送られてくる協力要員(・・)の選考というか面接というかチェックというかの場でです。

わたしが面接する側で、そのひとが面接される側でした。

どっちもそのことは全然知らなかったので、会ってびっくりでした。

でもココはビジネスの場。

そんなことはおくびにもださず、びしびしと過去の経験とかスキルとかを問いつめました。

そのひとは敬語でした。


ちなみに、かつてのわたしはそのひとの1年後輩でした。

いまは上司というか、親会社というか、上の会社の社員です。

そのひとにいくら単価を支払うのかもわたしが決めます。

単価表をみました。

会社に対していくら時間当たり払うのか、1プロジェクト当たり払うのか、がわかれば、そのひとの年収額もわかります。

いまのわたしの半分あるかないかくらいでした。

さすがに直属の上司になるのはちょっと気まずすぎるので、そのことについては事情を上のひとたちに説明して、許してもらいました。


いい会社にはいることは、やっぱり(たぶん)いい人生につながると思います。

お金はないよりはあったほうがいいです。

悪人になりましたが、それでも・・・。

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