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こころのむくままきのむくままにげーむして遊ぶ日々
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みここ
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女性
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1980/07/24
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情報コンサルタント
趣味:
(ほんとのほんとに)読書
自己紹介:
MMOを発明したひとは天才だと思う。
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たとえ上司であろうと同僚であろうと部下であろうとも、
たとえ先輩であろうとも同期であろうとも後輩であろうとも、
たとえ年上であろうとも同い年であろうとも年下であろうとも、
たとえ親会社の社員であろうとも同じ会社の社員であろうとも子会社の社員であろうとも、
たとえ発注先の社員であろうとも共同入札ライバル社の社員であろうとも受注先の社員であろうとも、
とりあえず社会人であれば、初対面のひとには 敬語 or 丁寧語 でおはなしするのがフツーです。


ここまではべつにむずかしーおはなしではありません。

多少いいまわしがまちがっていたとしても、とりあえずなんとなくそれっぽく、どこかできいてきたよーなかんじで、

  私はあなたにていねいに(or敬意をもって)はなそうとしてますよ~?

的なことばをえらべば、なんとかかんとかなっちゃうものです。

    国語にうるしゃいおじーちゃんがきけば、お小言の十や二十はでるかもだけどー・・・。


問題はそのあとです。

どこかのタイミングで、それを TAMEGUTI またはそれにあるていど近いくちょーにきりかえていかなければなりません。


なぜなら、ずっと敬語っぽい言葉で相手とおはなししていることは、基本的に人間関係における戦略戦術として、あまり良策ではないからだったりします。


TAMEGUTI とは、相手にたいして、

  「あなたにうちとけてきてますよ~?」

と、自分の心の変化を伝えるたいせつな方法のひとつでもありますし、あるいは、相手が格下(この言葉あまりすきじゃないけど。。)であるときには、

  「いーい、わかってる?
    アナタよりもわたしのほーがえらいんだからね、ね??
    そこのところわかってるわね!?」


みたいなかんじーで、無言(?)のプレッシャーをかけるためにつかうものでもありますし、また、相手のひとが格上であっても、

  あんまりナメんといてやー?
    うちはおこらすとこわいねんで??(なぜか関西風)」


などなどといった、それはそれで無言(?_?)のプレッシャーぱーとつーをかけるためにつかう場合もございます。


このきりかえのタイミングと、そして変化のレベル、スピード、さらには配合具合がヒッジョーに基本で、かつ、奥義であったりするのです、人間関係スキルの。ええ。


相手の性格と己の立場への理解度、そして、お互いへの認識の内容をじわーっとさぐりつつ、的確に細かくそして時にはダイタンに、TAMEGUTI をつかっていくひつよーがあります。


出会ってしばらくたって、あまり長い間、TAMEGUTI を相手にたいしてつかうことができないでいると、そのひとがたとえ最初は(ひょっとして)好意を自分に抱いてくれていたとしても、

  「・・・このひと、わたしのことあまりすきじゃないのかなー?」

と思われてしまうかもしれませんし、かといって、あまり出会ってすぐだったり、配分量がそのひとの自分に対する TAMEGUTI妥当性レベルよりも大きすぎたりしても、

  「なれなれしーわねー」

  「なんかナマイキ?」

  「ちょっとカンチガイしてるんじゃなーいー?」

みたいなことになります。。(こわひ


また、格下のはずのひとにたいしてこのきりかえをするチャンスを何度ものがして、逆に相手がこちらに TAMEGUTI をつかって、なぜかこちらが相手に敬語or丁寧語ではなしかけるーみたいなことになってしまうと、たいへんなことになります。

本来のお互いの立場や力関係とは別に、そのひととの人間関係においては、なぜか対等or逆転した力関係になってしまうことがあります。

    実際にしっぱいしちゃった経験アリ。。


もしそうなってしまった場合、そのおはなしの影響はそのひととじぶんだけの範囲にとどまりません。


そのひとと同じ立場、階級、等に属するひとたちも、

  「○○さんがそーゆー態度してておっけーってことは、われわれにとってあのひとはそーゆーポジションなのねー」

と思うようになり、おなじよーな態度をとるようになっちゃう可能性があります。


ジツは言葉の使い方や言い方、間合い、声の大きさ、トーン、語尾の発音、切り方、といったようなものは人間関係を形成していく際にとても大きな要素というか割合をしめていまして、これが、

  「にんきものはどこへいってもにんきもの」

  「いぢめっこはどこへいってもいぢめっこ」

  「いぢめられっこはどこへいってもいぢめられっこ」

などなどをつくってしまう要素でもあります。


すなわち、わたしのいちばん好きなことばのひとつではありますが、

  「人間関係は歯車」

なのです。


それでですね。

とーとつですけど、わたし、この訓練をするのに、MMO(多人数同時参加型オンラインRPG)って、ものすごーく有効なのではないか・・・・とおもってたりするのです。

なぜなら、この訓練には"セルフイメージ(自己に対する認識、自画像。すなわち自我)"が非常に大切で、"自分はどういった人間なのか?"ということをしっかりと意識的に分析して、さらに意識的に自分が望む方向に発展させようとがんばっているひとほど、自然とコレがうまくなるのではないか、と思っているからなのです。


自我は自分ひとりだけでは成立し得ません。

だれか、自分以外の誰か、すなわち、"他人が思っているであろう自分"が、いこーる自我となります。

いくら"わたしは**なのだ"と思いこんだとしても、それを誰か"自分以外の自我"が認識して、そして支えてくれなければ、自我は自我たり得ません。

すなわち自我は多我の大海のなかにあって、多数の多我が互いを認識しあうなかで生まれるものであり、最大公約数的な認識の泡沫であり、逆にまた最小公倍数的に重複することで意識化されるものでもあります。

最大公約数的な部分は無意識となり、そして、最小公倍数的な部分は(表層)意識となります。

    ・・・最近、攻殻機動隊にハマってたり。。(^^;


セルフイメージが他者の認識によってしか存続し維持できない性質のものである以上、それは本来、自分のもっているさまざまな外的要素(容姿、声、などなど)を抜きにしては形成できません。

だって、他人はそのひとをみるときに、まず外的要因をみますからネ。


でも、MMOの世界では、外的要因は自由に変更が可能です。


よって自分がなりたいと思うもの、又は、自分が自分をこうである、と思っているもの、の姿をとることができます。


そうしたなかでまた、現実世界ではありえないほどにカンタンに誰かと仲良くなり、またカンタンに別れ、何かを教え、教えられ、カンタンにいろいろなモノ(お金とかアイテムとかもね)を与え、与えられ、現実ではありえないほど良く演出された血湧き肉躍る冒険をともに戦い楽しむなかで、

  「あれれ?」

  「意外とセルフイメージって、頑張れば変えられるものなんじゃないの?」

と気づき、さらには、

  「わたしって、こんな風なひとになりたいって、ほんとはずっともってたんだー」

みたいなことにも気づき、さらにはさらには、

  「じゃ、現実世界じゃむずかしいけど、ここでなら何度でも失敗できるんだから、
    がんばって、そんな"なりたい自分"を演じてみよう」

などなどといったことまで考えだし、試し、失敗し、成功し、そして最終的には、

  「そっかー。
    敬語とか丁寧なことばはこのくらいのタイミングでつかって、
    TAMEGUTI はこんなかんじでつかうと"わたしにとっては"うまくいくのねー」

ということ、いこーる、"自分にとっての他のひとたちで満ちたこの世界と接するにあたっての正しい(より効率的、かつ、より優れた、望ましい)解法"を得るための訓練を自然とすることができるのかと、そう思うのです。


たとえそれが仮面であっても、どのような仮面を選ぶかで、また、どのような仮面をつくったのか、によって、その人がどのような人なのかは判るものなのです、、、とは、とある有名な名探偵さんが本のなかでいっていた言葉ですが、まさにそのとおりだと思うのです。


そして、仮面は所詮仮面でしかないのですけれども、そもそも仮面のしたには素顔なんてものはほんとはなくて、ただそのときそのときの想いと願い、過去のいろいろな残映が、仮面をとったその奥にはただあるだけであって、今、どのような仮面を選び、つくりあげ、かぶりたいと考えているのか、かぶらざるを得なくなっているのか、次にどんな仮面をかぶりたいと願っているのか、、それがただそのひとのいまをあらわすだけなのだ、と、そう思うのです。


相手に対して発する言葉とは、その仮面の一部でもありますから、その操り方、使い方、に長けるためには、ただ自分がかつて何を望んだのか、そして今、なにをのぞんでいるのか、それから目をそらさず、ただ今自分がかぶっている仮面をみつめて、より周りのひとたちと自分が望んでいる人間関係をより良いつくっていくために、ただ仮面をととのえていくだけなのだと、そう思うのです。


・・・さて、来年、また新しくわたしはたくさんのひとたちと出会っていく訳なのですけど、そのなかでわたしはどのような仮面を選び、かぶり、そして接していくのでしょうか。


今いくら悩んで、がんばってつくっておいても、いざその場になれば再修正がとってもたくさんひつよーなのですけどねー。。。(はうぅΣ( ̄▽ ̄;

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