カレンダー
カテゴリー
最新記事
(08/22)
(07/31)
(06/28)
(06/28)
(06/28)
プロフィール
HN:
みここ
年齢:
44
性別:
女性
誕生日:
1980/07/24
職業:
情報コンサルタント
趣味:
(ほんとのほんとに)読書
自己紹介:
MMOを発明したひとは天才だと思う。
ブログ内検索
最古記事
(06/11)
(10/05)
(10/10)
(10/10)
(10/10) |
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
いちおー情報システムにたずさわるおしごとをしているので、 『日経SYSTEMS』 をよんでみたり、 『@IT』 をみてみたり、 『ITPro』 をみてみたり、などなどしております。
また、会社のおつきあいで、JAVAのセミナーとか、新技術の発表会とか、あれこれにもでることがあります。 そうしてるとどうしてもかんじてしまうのが、 「日本の情報システムはもうだめかもしんにゃい」 というかなり悲観的というかアンニュイな気持ちです。 さまざまな技術、言語、環境、その他の複雑な要因が絡み合って成立し構築される現在の情報システムは、どんなプロフェッショナルを集めても、どうしても想定外の事象が発生せざるを得ません。 ビジネス要件の移り変わるスピードがおそろしく早くなってしまったので、もはや数ヶ月以上の長期に渡るシステム開発期間をもつプロジェクトはスタートとゴールで(システムを知っている人間にとっては)致命的とも思える要件変更もほぼ必ず複数発生しています。 このような状況に対応するための答えとして、世界の情報システム従事者達が出した答え(あるいは出そうとしている答え)が、 ・アジャイル型開発 ・ライトウエイト言語 ・オープンソース環境 などなどであったりするのかと思います。 ハードウェアの開発、あるいは、汎用機のように条件がごく限定された開発を想定した開発スタイルであるウォーターフォール型開発は、いきなり最初に完成された答えを要求してきます。 あるいは、一度決めたことを変えることへの摩擦がとても大きくなります。 それは旧態依然としたビジネスのやり方(担当がつくって、課長がOKして、部長がOKして、その上の人たちがOKして、そこまでいったらもうなにがなんで もやりとげないとこまるよキミィ、とゆーアレね)にとっては、たいへん都合がよい方式なのですが、現在の状況にそぐわないことすごいものがあります。 アジャイルなスタイルとは、 「最初から完成系など求められる訳がない」 という一言に集約されるとわたしは(個人的に)思っています。 でもこれって、はじめに予算をきめなきゃいけないとゆービジネスの世界のおやくそくごととは、まっこうから対立しちゃうおはなしなんですよねー・・・。 ほんとうは、その答えももうアジャイルってゆー概念には用意されていて、それは、 「最重要なところからつくりはじめる」 ってことと、 「ソースコードそのものをドキュメントとする」 の2点かと思っています。 つまり、何回もつくりなおしているうちに予算がつきちゃって、つくりたかったはずのものが中途半端にしかできませんでしたーということをふせぐために、優先順位をしっかりきめましょうということですよね。 それで絶対に必要な骨組みだけはユーザーの要求要件を120%満たす内容で完成させておいて、あとは予算のゆるすかぎり追加していく、、、という考え方。 そして、従来の考え方だとやったらとこれでもかーとつくりまくっちゃうドキュメント群の数々。 つくればいいってものじゃないとおもうずら。。 むかしはたしかにしっかりかっちりと設計書をまとめてからじゃないとシステムがつくれなかったからしょーがないのですけど、いまはすごくカンタンにプログラムなんてなおせます。 だからドキュメントづくりに工数を費やすのではなく、プログラムそのものをあれこれみんなでつくっていって、その最終完成形から最後に必要最小限のドキュメントをつくりましょう、、、という考え方。 汎用機とかそのさらにまえの時代だと、うちこんだプログラムの計算結果が返ってくるまでとんでもなくお時間がかかる・・・とか、そんな時代があったのだそーな。 なので昔気質のひとたちほど、ドキュメントにこだわるし、プログラムをつくるまえにしっかりした完成された設計を行うことにこだわるのだそうなのでっす。 いまはあれこれ検討してるより、ぱぱっとつくっちゃって、実際にうごかしちゃたほーがはやいのにねー? (∂ ∂) そんな考え方をいちはやくとりいれた海外の諸企業、そして、外資系の企業さんたちのつくってくるパッケージや情報システムはどれもユーザーの使い勝手を本当に考えた要求仕様をしっかりと満たしたものばかりです。 一方、サービス残業をしまくって、派遣の子たちをつかいまくって、そしてつくりあげた日本企業のつくるパッケージや情報システムはぜんぶがぜんぶとはいいませんが、たいてーは、 「・・・いらないよ、これ」 「うわーつかいにくぅー。 なんでこー独自の操作方法をそれぞれ考えてくるのかなー」 「フリーでもっといいソフトあったきがするかも」 みたいなものが多かったりします。。(なんとかしてほしひ ライトウェイト言語は信頼性に欠ける、といっていたえらいひとがいました。 でも、わたし思います。 コンパイルに2時間もかかる言語のほーがほんとに信頼できるのでしょうか? プログラムにほんとにささいな不具合がみつかった場合に直すのになぜか1週間以上もかかっちゃうよーな言語のほーがほんとに信頼できるのでしょうか? ライトウェイト言語なら数時間で直せるのにね (><) べつにライトウェイト言語がありとあらゆるシーンで優れている、なんてことはぜーんぜんおもっていませんが、すくなくとも一般的なビジネス要件を満たすための情報システムにとっては、まあライトウェイト言語でじゅーぶんだと思うのです。 オープンソースの考え方って、けっきょく、はっきりいってたいしたサポートもフォローもしてくれないマイクロソフトさんやオラクルさんなどなどにおかねを みつぐくらいなら、自社あるいは協力会社さんのエンジニアのひとたちのほーにおかねを投資したほーがいいよ、、、ってことですよね。 たかーいアプリケーションソフトやOSにおかねをつかうのではなく、フリーで無料でそのかわりそれをつかう技術者のひとたちには高い能力と知識が要求される(=そのぶん、とーぜんお給料もいっぱいお支払いすることとなる)のがオープンソースの世界。 ものすごくまっとうな考え方だとおもうのですけど、これも日本の経済界におけるエライ人たちにとってはとってもあわない、または歓迎しているふりをしてジツはあんまり歓迎していないおはなしのよーにみえます。 なかでなにがうごいてるのかさっぱりわからない(というかみせてもらえない)モノより、ぜんぶみせてもらえるモノを信用するのがふつーだとおもうのですケド、どーしてなんでしょーねー(なぞデス 毎日定時に帰っていて、お給料は最低でも日本のエンジニアの1.5倍以上もらっていて、みたいなひとたちがつくっていたり動かしているシステムのほーが、日本のよりも優れているというこの現状。 いまは日本語というとても大きなアドバンテージが守ってくれている気がするのですけど、じょじょに、そしてかくじつに、じわじわとビジネスにおける英語化の波はきています。 ほんとにかなりきてます。 英語がつかえるのがあたりまえーってかんじにだんだんなってきてるもの(きゃー いろいろがんばってるひともいることはいるのです。 でも、まにあうのかとても心配です。 うーみゅ。 いまの団塊世代のひとたち、そして、その下のわたしたち、、このへんくらいまではたぶんなんとか過去の遺産をたべてやっていけそうだけどー。 そのさらに下のひとたちはたぶんとってもきびしそうなのです。 それにしても、汎用機とかその前の世代のひとたちは、どーして、いきなり最初から完全形を求めるのかなー・・・。 それしてるから昨今の障害頻発がおこってるのだとおもうのだけど、なおらないわねぇ(わかってないのカナ? PR |