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みここ
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女性
誕生日:
1980/07/24
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情報コンサルタント
趣味:
(ほんとのほんとに)読書
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MMOを発明したひとは天才だと思う。
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 わたしは現実世界で傷つくことはほとんどありません。 というかもちろんあるのですが、それはせいぜいお風呂にはいってさっぱりするか、お酒飲んで熟睡するか、ゲームしたりしてぱーっと遊ぶか、すればなおってしまうよーなレベル以上のものではありません。 立ち直るまでに必要な日数は1日あるかないか、といったところです。
あのときわたしは苦しみを乗り越えるために、こころのもっともやわらかくきずつきやすい部分を現実から切り離し、仮想世界にあずけたのねーと、さいきんつくづく思います。 なぜなら、1日どころか1週間、1ヶ月、場合によってはもっと、、、さらにはときどき思い出してまた苦しむ、などといった「傷つき」をいまのわたしに与えることができるのは、漫画やアニメ、小説、ゲーム、といった世界での出来事(?)だからです。
でも、漫画(or アニメ or 小説 or ゲームなど)で好きなひとがしんでしまった、あるいはつらい思いをした、などといったことがあると、その記憶は脳裏に焼き付いて、いつまでもわたしを苦しめます。
これをヘンだ、と言いきってしまうのは簡単なのですが、さて、そうではないひとがこの世にいるのかなーという思いもあったりします。
彼女はその作品の世界のなかに「たましい」をおいてしまったのです。 いずれほかの場所におくようになる日がくるのかもしれませんが、それまでは生きるために離れようがないのねー、と思います。
そのときそのとき好きになった作品世界のなかにおきかえることが可能です。 それはつまり彼女とはちがい、わたしの「たましい」の置き場所はけっこーかんたんにうごかすことができることを意味しています。
それが恋人(あるいは旦那さん?)であれば、うちの母の願いもかなうわけですが、、、さて、そーうまくいくかどーか??、ですねー(くすくす)。 PR わたしのともだちのA美ちゃんは、よく、「みんながわたしをばかにする」とか、「だれもわたしのいうことを・・・」みたいなことを言います。 むかしはわたしもそんなこと思ったことがありました。 じぶんではなくて、周り(=世間のひとたち)のほーがわるい、とゆー考え方です。
「わたしだったらぜったいそんなことしないのに」とゆーことをできるひとが大勢いるのです。
1、そのひどいひとは、なぜ「自分に」ひどいことをしているのか? ひどいひとだからといって、会うひと会うひとぜーいんにひどいことしてるわけじゃありません。 そんなことしてたら生きていけないです。 ってことは、ひどいひともちゃーんと「あ、あのひとにはひどいことしても大丈夫」「このひとはまずい」あるいは、「このひとはすき」「このひとはきらい」などなどなどといった価値判断がちゃーんとあるわけですね。 じゃ、そのひとが、どうして、ほかならぬ「自分」を、そのひどいことしちゃうぞ的対象にえらんだのか?、その理由を考えないと いけないと思うのですね。
歯車は、一個だけあっても回転しません。 ふたつの歯車がかみあって、回転します。
ひどいひとがいたら、そのひとがひどいことをするひととしないひとの違いをみるしかありません。 そして、されないひとにあって、されるひとにないもの、それを身につけるしかありません。 それが不可能な要素である場合には、とっととそのひとから距離をおく策を考えたほーがいいかも? 不可能なことに時間と労力を費やしている間にも、寿命はどんどんへっていきます。 「人間関係は歯車」なのです。
相手に100%原因があって、こちらには0%、などということはたいてーの場合、ないのです。
まわりのひとたちにそーいう反応をさせるような言動を自分がとっているのです。
そのうちのどの面がいちばん生きていく上で楽なのか、それを考えないとだめなのです。
2、ちゃんと相手をみているか? べつのおともだちで、「好きになる人みんなにふられちゃう」子がいます。 その子がどーしてふられるのか、わたしわかってます。 その子が「好きになった」と言う男の人は、どのひともみんな似たような顔で、似たような雰囲気のひとたちばかりです。 好みというものはあるとは思いますが、たいてーの場合、それはなんらかの「理想像」みたいなものがあって、それにどれだけ近いか?、 なのだとは思います。
みてるとその子はあきらかにかつての初恋のひとが「理想像」で、かなり思い出は美化されてて、そしてそのひとにおもかげが似てるひとを さがしてるーってかんじなのねー。
1. じつは主人公にはまえにつきあっていた(あるいは好きだった)ひとが過去にいた。 みたいなシチュエーションがあります(これ十八番よねーw
男性もそーいうのはあるかと思うのですが、どっちかというと男性は「綺麗な子もいいけど、可愛い子もいいし、でも明るい子もいいし、、、」 などというかんじでいろーんなタイプおっけー!!!!、ってかんじなきがします(ねえ 女性はその点、へんにがんこというか、固着するというか、あるきまった特定のタイプに執着しやすいきがします。
相手の男の人にとって、あるいみこれすっごい侮辱的なというか失礼なおはなしでしょ? だって、つきあってる女の子、じぶんのことを好きだっていってる子、その子は「じぶんをみていない」のだから。 じぶんを通して、その向こうにかつて好きだったひと、あるいは理想像、そういったものを投影して、その影として「好きです」っていってるわけなのよね。
そのとき、影は消えて、はじめて女の子は「じぶんをみる」ようになる)こともないわけではありません。
じぶんではなく、おかあさんをみている、あるいはおとうさんをみている、これって相手にとってはものすごーく失礼なおはなしです。 そして、そーいうのはある程度の時間以上いっしょに時間をすごしていると、なんとなくだんだん察せられてくるものなのです。
とくにマザコンとかファザコン、ブラコン、シスコン、はあるいみではしょーがないよねー。 うまれてさいしょに出会う異性なわけで、「おにいちゃんみたいなひとが好き」でも「おにいちゃんみたいじゃないひとが好き」でも、けっきょくのところそのひとたちにとらわれているのには変わりない(同一化、投影、合理化、えとせとらー)わけだもの。 それをどこまで「ちゃんと相手自身をみるようにできるか」が、たぶん子供から大人への道のひとつなんだと思います。
さいきんよく「対人スキル」という言葉について考えることが多くなりました。 命令をきいて仕事をする側から、徐々に命令をしたりひとをまとめたりスケジュール等を管理したりする側になってきてるからだと思います。 仕事がすごくて恋愛だめ、とか、恋愛すごくて仕事だめ、とか、そんなおはなしよくききます。 でも、人間関係がちゃんとできる(=対人スキルが高い)ひとなら、仕事も恋愛もおなじ土俵だと思います。
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