忍者ブログ
こころのむくままきのむくままにげーむして遊ぶ日々
-material by whim+
カレンダー
12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
みここ
年齢:
44
性別:
女性
誕生日:
1980/07/24
職業:
情報コンサルタント
趣味:
(ほんとのほんとに)読書
自己紹介:
MMOを発明したひとは天才だと思う。
バーコード
ブログ内検索
[1] [2] [3] [4] [5]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

就職氷河期世代の人たちにとって、団塊世代というのは許せない部類の代表格みたいです。


なぜなら、当時、大学(or 高校、専門学校、中学,etc)を卒業して、頑張ってこれから社会人としてやっていこう、育っていこう・・・と思っていた矢先に、その目前でいきなり、
 
 「あー、ごめん。
  いまちょっとヒトいらなかったりするのよねー」
 
または、
 
 「毎年100人とってたけど、
  今年は10人しかいらなかったりするのよねー」
 
みたいな、入ろうとしている側にしてみれば「ええええ!?」ってかんじのことを面接会場で言ってた張本人さんたちだからですね。


私の中にも確実にこのルサンチマンはのこっていて、なにか団塊世代のひとたちが困っている~みたいな記事(たとえば、熟年離婚だとか、年金問題だとか?)があると、
 
 「うふふふふ。
  ざまみー!!!!」
 
みたいな想いがこみあげるのは、これは否定できません。はい。


でも、一方で思うのですね。
 
 「トータル的にみて、一生を通して、他の世代に比べてお得だった!!!
  みたいな、そんな世代ってあるのかなー」
 
と。


たしかにバブル期入社のひとたちは当時すごいオイシーこといっぱいあったみたいです。

今では年間ほんのすこししか入社できないような大企業に、海外旅行とか一流ホテルでの接待パーティー付きで入社した先輩たちも知っています。

超難関といわれるようになった公務員試験も、当時はむしろ滑り止めレベルだったと聞きます。


そんな彼らをみて、そして、新卒応募者や中途応募者をゴミみたいに扱う団塊世代のひとたちをみて、氷河期世代のひとたちがあれこれと恨み辛み(=ルサンチマン)をつのらせるのも、これはまあごく自然な心の動きなのかなーと思います。


じゃ、彼らはずーっと、一生を通して、そんな風にお得な人生を送ってきたのでしょうか。

・・・というと、実はそんなことはなかったりします。


団塊の世代とは、その名のとーり、ちょーめちゃめちゃ人口というが子供の数が多かった時代に生まれたひとたちのことです。

学校では一クラス40人×10クラス以上、、なんていうのが当たり前で、人数が多いからあれこれすべての競争も厳しく、受験戦争が最も過酷だった時代も彼らが学生だった頃のことです。

会社に入ってからも週休一日が当然、午前様も当然、単身赴任して、家族は顧みず、ただひたすらに会社のために働けー、、、というのが当然、、というか、そうしないと人数がとんでもない世代だったので、競争に勝ち残れなかった、そんな世代のひとたちのことです。


確かに高度経済成長期で働けば働くほど年収も仕事のレベルも地位も社会的レベルもどんどん上がっていける時代だったので、今の低成長時代から振り返ってみれば、
 
 「あのころはいい時代だったよなー」
 
・・・ということになるかとは思うのですが、それは今思い出してみれば~というだけのことであって、当時実際にその場で働いて生きていた彼らにしてみれば、
 
 「めちゃめちゃ大変だったっちゅーねん!!」
 
 「いまなんてほんと楽だっちゅーねん!!!(なぜか関西弁)」
 
って、思ってしまうような、そんな時代に、就職してそして結婚して家庭をもち、子供を育て、家族を養い、生きてきた人たちです。


実際、団塊の世代の人たちが文部省において主導権を握るようになったときにまず真っ先にしたことが受験戦争の緩和であり、ゆとり教育の実施であったことを考えると、彼らがどれほど苦しい思いをしたのかがちょっとだけ察せられます。


団塊の世代のなかで成功した人たちは、バブル崩壊当時、強者でした。

自分たちの既得権益を守るために若者達の未来を犠牲にすることができるほどに強者でした。

いずれそのツケがかならずめぐってくる、、、という不安と罪悪感はあったにしても、誰かの未来や可能性、そしてそれまで目指してきたことを奪うことができる、というのはすごいチカラです。

だから、彼らは当時ものすごい特権階級でした。


でも一方で、そんな彼らのなかから弱い者順にリストラの嵐が襲いかかり、窓際族一名様ご案内の魔の手が襲いかかり、日勤教育がほどこされ、創業者をどこかの新興宗教みたいに神のようにあがめることを強制されました。

団塊の世代のなかでも成功しなかった人たちも大勢います。

他の世代に比べて単純な総数が多い分だけ、その人数も当然すごい大人数となりました。

彼らは日雇い労働者となり、ホームレスとなり、日本の最底辺労働を支える以外の生存方法はもはや与えられません。


バブル期入社の人たちはどうでしょうか。

これはあくまでもうちの会社での例なのですが、彼らは非常に高額の年収と高いキャリアルートを用意されて入社しましたが、実のところその実力(というか職務経験)にそれはみあうものではありません。

つまり、会社にとっては、現在となっては不良債権みたいな感じになっています。


わたしのいる会社は労働組合が非常に強いのでリストラこそありませんが、それでもその高額の給料を少しでも減らす為に、彼らはありとあらゆる手をつくしてその仕事を削られ、より低いポジションが創設される都度、そこに送り込まれています。

その状況に順応してしまった先輩たちは、

 「楽な仕事で、今までよりは下がっちゃったけど、それでも結構高額なお給料もらえるんだから、これでもいいやぁ」

というような感じで日々をすごしていますが、そう言いつつも、その顔にふっと不安がよぎります。


「今日、これだけ給料が下がった。
 次のときはどれだけ下がるのだろう」

そう思ってしまうのかな、と私は推測しています(ちがうかもしれませんが。


でもどちらにしてもあまり安定した精神状態ではいられないポジションだと思います。


いっそその実力に見合った地位と年収に戻れば、そんな思いもしなくてすむようになるのかもしれませんが、会社というものは階層構造ですから、ある特定の年齢層のひとたちにはそれなりの地位とそれに付随するふさわしい仕事をこなしてもらわないとなりません。

そうすると彼らはいまだいたい40歳代ですので、課長クラスの仕事をしてもらう必要があります。


課長というのは中間管理職の最たるもので、いっちばんたいへんというか責任重大なポジショニングです。


でも、彼らの多くは、そのポジションをこなすために必要な訓練を受けてきていません。

経験を積んできていません。

最初のとっても低かったハードルと、その後きたあれこれいろいろな混乱とそれによる繰り返される様々な業務ルールや社会ルール等の変更修正に翻弄されているうちに、年齢を重ねてしまっています。


いま一番リストラが多くて、自殺者も多いのが40歳代だそうですが、さもあらんーって感じなのです。


さて、団塊の世代の人たちは得した世代でしょうか。

バブル期入社世代の人たちはどうでしょうか。


就職氷河期世代でのろい系(とわたしはよんでいるー♪)のひとたちは、たぶん上記のお話をしたら、こう答えると思うのですね。

 「それはとにかくチャンスが与えられた結果としての話だ。
  われわれはそもそもチャンスすら与えられなかった」

と。


その通り。

それはたしかにその通りなのです。


ここで別の知り合い二人のお話をしたいと思います。

ふたりとも私の大学時代の友達なのですが、これより仮にAくんとBくんとしたいと思います。


AくんもBくんもわたしと同じ年に卒業していますので、就職氷河期まっただなかにぽーんっとほうりだされた同志(?)です。


このとき、二人はちがう選択をしました。


Aくんは就職先がないから、と、派遣社員になる道を選びました。

当時、派遣社員とか契約社員のくちはけっこーあったからです。


一方、Bくんは、社員数10人くらいの零細な中小企業に就職しました。

当時、ほんの数年前までであれば、大卒者が入社するなんて考えられなかった、そんなお給料も安く、労働条件もひどく、待遇も最低ランクな、そんな会社です。


それから数年した頃、ふたりとお酒をのみにいったことがあります。

そのときにきいたお話では、ふたりとも別にそんなにあれこれ未来への展望とかはなく、どちらかというと絶望とあきらめの結果としてのそれぞれの選択だったそうです。


そして、現在。

ようやく(すこしだけ)求人状況が改善してきた昨今。


Aくんはあいかわらず派遣社員をしています。

せっかく多少求人状況がよくなってきたので、かつて入りたいと思っていた企業群に再度応募してみたそうですが、書類選考すら通らなかったのだそうです。


正社員に応募する際、会社の人事部のひとたちは、

 「派遣社員 or 契約社員 or 自営業 をしていた期間は職務経験としてみとめない」

というのがその理由だったようです。


一方、小さい会社でながらも主任をまかされるようになっていたBくんは現在、ある超大手外資系企業でマネージャーさんをしています。

正社員に応募する際、会社の人事部のひとたちは、Aくんのようにあちこちの会社に次々に派遣されるのではなく、一つの会社でずーっとひたすら頑張っていて、そしてそれなりに評価されていたような、そんな人材がいま喉から手が出るほどほしいのだそうです。

なにしろ氷河期世代のひとたちの新卒採用当時は本当にごく少数のひとしか採用していませんでしたから、その年齢層のポジションがぽっかりいまあいてしまっていて、あちこちの会社はとても困っているのだそーです。

なので、いまBくんは彼らにとってはほしくて仕方がない人材となっており、長年勤めた会社を辞めて転職しようと、いくつかの人材紹介会社さんに登録に足を運んだところ、

 「えくせれんと!!!(とはいわないケドw」

みたいなことをどこでも言われて、入社試験を受けに行っても全部受かってしまって、どの会社に入社しようかととても困ってしまった、とのことでした。


AくんもBくんもわたしと同じ大学をでていますから、卒業当時の学力はそんなに違いがありません。

また、はっきりいって、要領がいいのも、どちらかといえばBくんではなくAくんのほうで、実際、Bくんが小さい会社で月収15万円くらいで働いていた頃、Aくんは派遣社員として月収30万円以上もらっていました。

なのでAくんは何度かBくんに、

 「派遣社員のほうが気楽だし儲かるよ?
  一緒に働かない??」

みたいなおさそいをしたことがあったそうなのですが、Bくんは当時会社でとても頼りにされていた(そりゃーただひとり高等教育受けた人だものね・・・)ので、ことわっていたのだそうです。


Bくんはべつに、

 「どんなに零細企業でもとにかく正社員でいなければ職務経験として認められないから・・・」

みたいなことを考えて、当時就職した訳ではありませんでした(きいてみた)。


AくんもBくんも当時はとにかくガックリしていましたから、半分自暴自棄な感じで、とにかく目の前にあった生活する道に進んだだけのことみたいです。

ただ、それが結果として、何年か経って、このような二つのことなる結果となったのでした。


もしあのときだれかが「正社員じゃないと~」的なお話をしていて、それを信じていれば、きっとAくんもBくんと同じ道を歩んだでしょう。

でもそんな助言はなく、又、もし仮にあったとしても、それをAくんが信じて自分の人生を決める際の参考としたかは、それはわかりません。


また、現時点では、AくんはBくんのことをみて、

 「うわぁー、いいなぁー。
  しっぱいしたよおおおおお。
  おれもBくんみたいにしてればよかったよー」

というようなことをグチっているのですが、さて、さらに何年かしたあともそうかどうかは誰にもわかりません。


ひょっとするとBくんは(ちょっと不吉なおはなしだけど。。)なにか会社でものすごい失敗をして、会社をクビになって、それで回状があちこちに回っちゃって、もう二度と就職できないようなそんなカラダになってしまうかも(ちょっとどころじゃないねーすごい不吉だねーごめんね、Bくん。。)しれません。

Aくんはひょっとすると派遣先として働いていたどこかのいい会社さんで、

 「キミいいねーうちにこないかい?」

みたいなことを言ってもらえるかもしれませんし、あるいは、一緒に派遣社員として働いていた仲間とともに立ち上げた会社の経営が軌道に乗って、小さいながらも重役として結構いい生活ができるようになるかもしれません。


未来のことはわかりません。

すべては「結果として」ですので。


結局、人生トータルでみた場合に、全部通してお得な世代なんてものはなくて、その時点その時点で「結果として」うまくいくひとといかないひとがいるだけのことだと、そう私は思っています。

そして、いまうまくいっているひとも、ひょっとして仕事ではうまくいってもへんな結婚しちゃって、たいへんな離婚とか慰謝料とかわけのわかんないことになるかもしれませんし、生まれてきた子供が障害児で~なんてこと今増えてるみたいですし、かといって、じゃ、結婚するのやめるーと結婚しないでいると年をとってカラダの自由がきかなくなったときに自分とはちがって結婚して子供をもうけた知人が成長したその子達に暖かく介護されているのをみながら一人寂しく老人ホームですごしている、、、という未来だって有り得るわけで、結局、やっぱり「結果として」だと思うのです。


ことわざに「人事を尽くして天命を待つ」ってゆーのがありますけど、アレがきっとこの何一つ確かな成功論のない不確かな世界に生きる私たちの、生きていく道なのだと思うのですよ。


いまでこそ神格化されている松下幸之助さんとかだって、最初から確信があって、ナショナルをあーゆー方向にもっていったわけじゃない(はず)ですしー。

そのときだって、松下おじーちゃんはそれはもう死ぬ気ではたらいた(はず)ですしぃー。

PR
うちの一族のひとたちには、みょーな共通点があります。

それは、

 「たべられないのに注文しすぎてのこす」

とゆう習性(?)です。


たべきれないのに注文しちゃって、そしてのこして帰っちゃう、というのはワタシ的にはひっじょーにお店のひとたちにしつれいだとおもうのです。

  ちなみになぜかわたしだけこの習性が(なぜか)ありません。

  ほかの一族(含む親戚)はみーんなあります。。ーx-

  わたしってひょっとして、どこかでひろわれた子・・・だったりしないよね(あうあう


なので、毎回、なんとかこのかなしひできごとをさけようと努力してまいりました。


さいしょの注文のときに頼みすぎないように、

 「まず、さいしょのぶんをたべおわってから注文すればいいじゃない。
  ね?ねね??」

などとがんばったこともありました。


そうするとみなはほんとにたべおわったあとに注文するのデス(まてい。。

そして、たべきれずに、やっぱりのこすのでした。


つぎに、あらかじめご予算をきめておくーという作戦をかんがえたこともありました。

でも、たべおわったあとに、

 「じゃ、今月のおこづかいからこれだけだすから、これもたべさせてー(千円札を1枚だす)」

とか、

 「そんなかたいこといわなくてもいいじゃない、みここちゃん。
  またがんばっておしごとすればいいんだから(ほほほ)」

みたいなあれこれをいわれて、やっぱりご予算はおーばーするのでございました・・・(だ、だめら。。


そんなこんなな試行錯誤をへて、ついにわたしは一族の業(ごう)をのりこえましたっ!!!

そこまでだいそれたことでもないけどw


一族のひとたちを封じる秘策・・・それは、、、

 「おさらをいっぱいならべる」

ことでございました!!!


そうなのです。


お料理のお値段はぜーんぜんもんだいじゃなかったのです。


ただ、とにかく、おそとにごはんをたべにいったら、

 「たくさんのおさらがならんでいないとさみしい」

とゆーだけの、、、ただ、それだけのことだったのです!!(はっけんっ


なんとなーく、ためしにひとさら100円~200円くらいの、ちょっとしたおつまみみたいなお料理を5点ほどとってみたのです。

そうしたら、みんなあれこれ(いつものよーに)やまほど追加注文しなかったのでした!!(-x)σ


・・・これってよっくかんがえたら、けっこーほかにも応用できる考え方なのではないのかなー。

よくテレビで「視聴率**%」などといっていますが、いつも不思議に思います。

番組全体としての視聴率はまあわかるのです。

でも、視聴率はちゃんと秒単位で集計されていて、"瞬間視聴率"みたいなものがあります。

そして、おもしろいシーンやたのしいシーン、びっくりするシーンなどだと、その瞬間視聴率とやらがぐぐーん!!!みたいなかんじではねあがる(らしい)のです。

これ、よくかんがえたらふしぎじゃありません?


だって、みんなが四六時中ぱちぱちとチャンネルを変えまくっていて、面白いシーンをつねにさがしまわっている、、、というのならわかるのですけど、じっさいにはそんなひとは全体のほんの数パーセントのはず。

大半の視聴者さんたちはただぼーっとみてるか、なにかほかのことしながらみてるか、ある特定の番組をみてるか、といったかんじのはずなのです。

にもかかわらず、ある特定の番組のある特定の(いろいろ意味はあるけど)すごいシーンの瞬間視聴率は一気に瞬間的にはねあがるか、あるいはぐいぐいーっと徐々に上がり続けて、そして最高を記録します。


めったにテレビにでてこない有名人、たとえばマイケルジャクソンが出演するーですとか、これはまあわかります。

事前に「何月何日、何時に放送するこれこれーとゆー番組で、マイケルジャクソンがでますよ!?」なんてCMとか新聞とかで宣伝しまくってるわけですから。

でも、そうではないシーンでも、やっぱりそういったことはおこってるみたいです。


普段のわたしはあまりおうちにいるときにテレビをみません。

本を読んでいるか、家事をしているか、仕事の準備のための情報収集をしているか、お友達とごはんをたべているか、、、といったかんじの優先順位で、かなりさいごのほうにテレビ視聴がきます。

そんなわたしが「なんとなく」テレビのスイッチをつける瞬間があります。

ほんとになんとなくです。

そして、ぱちぱちーっとチャンネルをまわします。

これもなんとなくです。

たいてーそーゆーときは、なにか面白いシーンに出会います。

いちばん最近のそういったシーンはダウンタウンのHey!Hey!Hey!のトークだったと記憶してます。

めったにみなくなってしまったテレビですけど、そのときはすごいそのトークがおもしろくて、けらけら大笑いしてしまいました。


それからしばらくして、今年上半期の瞬間視聴率ランキング!!、みたいな情報をたまたまみたとき、そのわたしが大笑いしていたシーンがかなり上位にきていました。

あれ?、とおもって、会社のみんなやおともだちに「あのシーンみた?」ときいてみました。

けっこーな確率でみんなみていました。

たしかに視聴率はよかったみたいです。

でもおかしいのです。

だって、みんな、べつにふだんはわたしと同じようにテレビなんてもうみません。

ほんとにテレビみなくなってるひとたちばっかりなのです。

「こんどの月曜日の**みたいよねー」なんていう会話とかもしてないのです。

してないのに、みな、それぞれシチュエーションは違えど、それぞれにそのシーンを世界のどこかでみていたのです。

これ、とっても不思議なことだと思いません?


それこそユングの集合無意識じゃないですけど、みんなの意識がどこかでひとつにつながってないと、こーゆーことはちょっとおこらないきがします。

それはテレパシーみたいなそんな超能力ちっくなものとかではなくて、たぶん、たくさんの情報が行き交う中で人々が知らず知らずのうちに交信させあっている何かなのだと思います。


今考えればバブルのあのころは異常でした。

異常であったにもかかわらず時代の空気のようなものから誰も逃れることができませんでした。

"なんとなく"だれもかれもそのことに興味をもち、そのことを優先し、そして生きていたのです。

そうかんがえると意外と戦争とかそんなのもちょっとしたことですぐ起こせるのかもねー・・・。

忍者ブログ [PR]