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こころのむくままきのむくままにげーむして遊ぶ日々
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1980/07/24
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情報コンサルタント
趣味:
(ほんとのほんとに)読書
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MMOを発明したひとは天才だと思う。
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たとえ上司であろうと同僚であろうと部下であろうとも、
たとえ先輩であろうとも同期であろうとも後輩であろうとも、
たとえ年上であろうとも同い年であろうとも年下であろうとも、
たとえ親会社の社員であろうとも同じ会社の社員であろうとも子会社の社員であろうとも、
たとえ発注先の社員であろうとも共同入札ライバル社の社員であろうとも受注先の社員であろうとも、
とりあえず社会人であれば、初対面のひとには 敬語 or 丁寧語 でおはなしするのがフツーです。


ここまではべつにむずかしーおはなしではありません。

多少いいまわしがまちがっていたとしても、とりあえずなんとなくそれっぽく、どこかできいてきたよーなかんじで、

  私はあなたにていねいに(or敬意をもって)はなそうとしてますよ~?

的なことばをえらべば、なんとかかんとかなっちゃうものです。

    国語にうるしゃいおじーちゃんがきけば、お小言の十や二十はでるかもだけどー・・・。


問題はそのあとです。

どこかのタイミングで、それを TAMEGUTI またはそれにあるていど近いくちょーにきりかえていかなければなりません。


なぜなら、ずっと敬語っぽい言葉で相手とおはなししていることは、基本的に人間関係における戦略戦術として、あまり良策ではないからだったりします。


TAMEGUTI とは、相手にたいして、

  「あなたにうちとけてきてますよ~?」

と、自分の心の変化を伝えるたいせつな方法のひとつでもありますし、あるいは、相手が格下(この言葉あまりすきじゃないけど。。)であるときには、

  「いーい、わかってる?
    アナタよりもわたしのほーがえらいんだからね、ね??
    そこのところわかってるわね!?」


みたいなかんじーで、無言(?)のプレッシャーをかけるためにつかうものでもありますし、また、相手のひとが格上であっても、

  あんまりナメんといてやー?
    うちはおこらすとこわいねんで??(なぜか関西風)」


などなどといった、それはそれで無言(?_?)のプレッシャーぱーとつーをかけるためにつかう場合もございます。


このきりかえのタイミングと、そして変化のレベル、スピード、さらには配合具合がヒッジョーに基本で、かつ、奥義であったりするのです、人間関係スキルの。ええ。


相手の性格と己の立場への理解度、そして、お互いへの認識の内容をじわーっとさぐりつつ、的確に細かくそして時にはダイタンに、TAMEGUTI をつかっていくひつよーがあります。


出会ってしばらくたって、あまり長い間、TAMEGUTI を相手にたいしてつかうことができないでいると、そのひとがたとえ最初は(ひょっとして)好意を自分に抱いてくれていたとしても、

  「・・・このひと、わたしのことあまりすきじゃないのかなー?」

と思われてしまうかもしれませんし、かといって、あまり出会ってすぐだったり、配分量がそのひとの自分に対する TAMEGUTI妥当性レベルよりも大きすぎたりしても、

  「なれなれしーわねー」

  「なんかナマイキ?」

  「ちょっとカンチガイしてるんじゃなーいー?」

みたいなことになります。。(こわひ


また、格下のはずのひとにたいしてこのきりかえをするチャンスを何度ものがして、逆に相手がこちらに TAMEGUTI をつかって、なぜかこちらが相手に敬語or丁寧語ではなしかけるーみたいなことになってしまうと、たいへんなことになります。

本来のお互いの立場や力関係とは別に、そのひととの人間関係においては、なぜか対等or逆転した力関係になってしまうことがあります。

    実際にしっぱいしちゃった経験アリ。。


もしそうなってしまった場合、そのおはなしの影響はそのひととじぶんだけの範囲にとどまりません。


そのひとと同じ立場、階級、等に属するひとたちも、

  「○○さんがそーゆー態度してておっけーってことは、われわれにとってあのひとはそーゆーポジションなのねー」

と思うようになり、おなじよーな態度をとるようになっちゃう可能性があります。


ジツは言葉の使い方や言い方、間合い、声の大きさ、トーン、語尾の発音、切り方、といったようなものは人間関係を形成していく際にとても大きな要素というか割合をしめていまして、これが、

  「にんきものはどこへいってもにんきもの」

  「いぢめっこはどこへいってもいぢめっこ」

  「いぢめられっこはどこへいってもいぢめられっこ」

などなどをつくってしまう要素でもあります。


すなわち、わたしのいちばん好きなことばのひとつではありますが、

  「人間関係は歯車」

なのです。


それでですね。

とーとつですけど、わたし、この訓練をするのに、MMO(多人数同時参加型オンラインRPG)って、ものすごーく有効なのではないか・・・・とおもってたりするのです。

なぜなら、この訓練には"セルフイメージ(自己に対する認識、自画像。すなわち自我)"が非常に大切で、"自分はどういった人間なのか?"ということをしっかりと意識的に分析して、さらに意識的に自分が望む方向に発展させようとがんばっているひとほど、自然とコレがうまくなるのではないか、と思っているからなのです。


自我は自分ひとりだけでは成立し得ません。

だれか、自分以外の誰か、すなわち、"他人が思っているであろう自分"が、いこーる自我となります。

いくら"わたしは**なのだ"と思いこんだとしても、それを誰か"自分以外の自我"が認識して、そして支えてくれなければ、自我は自我たり得ません。

すなわち自我は多我の大海のなかにあって、多数の多我が互いを認識しあうなかで生まれるものであり、最大公約数的な認識の泡沫であり、逆にまた最小公倍数的に重複することで意識化されるものでもあります。

最大公約数的な部分は無意識となり、そして、最小公倍数的な部分は(表層)意識となります。

    ・・・最近、攻殻機動隊にハマってたり。。(^^;


セルフイメージが他者の認識によってしか存続し維持できない性質のものである以上、それは本来、自分のもっているさまざまな外的要素(容姿、声、などなど)を抜きにしては形成できません。

だって、他人はそのひとをみるときに、まず外的要因をみますからネ。


でも、MMOの世界では、外的要因は自由に変更が可能です。


よって自分がなりたいと思うもの、又は、自分が自分をこうである、と思っているもの、の姿をとることができます。


そうしたなかでまた、現実世界ではありえないほどにカンタンに誰かと仲良くなり、またカンタンに別れ、何かを教え、教えられ、カンタンにいろいろなモノ(お金とかアイテムとかもね)を与え、与えられ、現実ではありえないほど良く演出された血湧き肉躍る冒険をともに戦い楽しむなかで、

  「あれれ?」

  「意外とセルフイメージって、頑張れば変えられるものなんじゃないの?」

と気づき、さらには、

  「わたしって、こんな風なひとになりたいって、ほんとはずっともってたんだー」

みたいなことにも気づき、さらにはさらには、

  「じゃ、現実世界じゃむずかしいけど、ここでなら何度でも失敗できるんだから、
    がんばって、そんな"なりたい自分"を演じてみよう」

などなどといったことまで考えだし、試し、失敗し、成功し、そして最終的には、

  「そっかー。
    敬語とか丁寧なことばはこのくらいのタイミングでつかって、
    TAMEGUTI はこんなかんじでつかうと"わたしにとっては"うまくいくのねー」

ということ、いこーる、"自分にとっての他のひとたちで満ちたこの世界と接するにあたっての正しい(より効率的、かつ、より優れた、望ましい)解法"を得るための訓練を自然とすることができるのかと、そう思うのです。


たとえそれが仮面であっても、どのような仮面を選ぶかで、また、どのような仮面をつくったのか、によって、その人がどのような人なのかは判るものなのです、、、とは、とある有名な名探偵さんが本のなかでいっていた言葉ですが、まさにそのとおりだと思うのです。


そして、仮面は所詮仮面でしかないのですけれども、そもそも仮面のしたには素顔なんてものはほんとはなくて、ただそのときそのときの想いと願い、過去のいろいろな残映が、仮面をとったその奥にはただあるだけであって、今、どのような仮面を選び、つくりあげ、かぶりたいと考えているのか、かぶらざるを得なくなっているのか、次にどんな仮面をかぶりたいと願っているのか、、それがただそのひとのいまをあらわすだけなのだ、と、そう思うのです。


相手に対して発する言葉とは、その仮面の一部でもありますから、その操り方、使い方、に長けるためには、ただ自分がかつて何を望んだのか、そして今、なにをのぞんでいるのか、それから目をそらさず、ただ今自分がかぶっている仮面をみつめて、より周りのひとたちと自分が望んでいる人間関係をより良いつくっていくために、ただ仮面をととのえていくだけなのだと、そう思うのです。


・・・さて、来年、また新しくわたしはたくさんのひとたちと出会っていく訳なのですけど、そのなかでわたしはどのような仮面を選び、かぶり、そして接していくのでしょうか。


今いくら悩んで、がんばってつくっておいても、いざその場になれば再修正がとってもたくさんひつよーなのですけどねー。。。(はうぅΣ( ̄▽ ̄;

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とーとーれべる60になりまちた。

ひとむかしまえのWowであれば、れべる60がとっぷだったわけですから、これはかなり上位レベルになったのかなーとおもいます。


でも、時代はTBC。

  TBC = World of Warcraft: The Burning Crusade の略。
       Wow初にして、2007年1月にでた拡張版のことデス

       ・・・ちなみにえすてぃっくTBCのことではアリマセヌ(ずーっとそーおもてたかもw


すでに最高れべるが70になったいまとなっては、60というのはまだまだこれからだよキミィ的なチカラでしかございません。。


そんなれべる60メイジのわたしは、けっこー少数派であることにさいきんきがつきました。

どー少数派なのかというと、わたちは分類的には"ファイアメイジ"なのです。


Wowのメイジの特殊能力には、

 ・アーケイン(神秘) ・・・ 全体的な能力アップ中心

 ・ファイア(炎)   ・・・ ひたすら強力な攻撃呪文

 ・ウォーター(水)  ・・・ 特殊効果のある攻撃呪文、防御魔法、召喚魔法

の3つの系統が大きくあって、これらの組み合わせでさまざまな能力をもったメイジとなります。


ぱっとみてわかるとーり(え?)、ほとんどのメイジさんたちは三番目の「ウォーター」を中心として能力をみがきます。

攻撃のつよさではウォーターファイアに一歩(二歩くらいかにゃ?)およびませんが、それをおぎなうのが、"特殊効果"と"防御魔法"だからです。


ぐたいてきにゆーと、メイジの弱点は大きく分けてふたつあって、ひとつめが、

 ・近接攻撃(=物理攻撃)によわい

ふたつめが、

 ・ひよわ(=体力がすくない)

となります。


魔法攻撃にはけっこーつよい(魔法防御力をアップする魔法を特殊能力にかんけーなく、標準でもってるので・・・)のですけど、そもそもひよわさんなので、けっかてきにまともにほかの体力むきむきなクラスのひとたちと真っ向勝負しても、さきにちからつきて終わります・・・(ぱたっ

そんなメイジの子の弱点をおぎなうには、ウォーター系はひっじょーに適しています。


まず、ウォーター系の攻撃魔法の特殊効果の最大のものは、「移動力の低下」があります。

ウォーター系の攻撃魔法をうけた相手はあしがとてもおそくなって、よたよた~っとしたかんじでしかうごけなくなります。


これにより、近接攻撃が得意なクラスの子(戦士、パラディン、ハンターのペット、シャーマン)から距離をとりやすくなります。


つぎに、ウォーター系には防御魔法(バリア)があります。

標準魔法にもバリア系はあるのですが、そちらはあくまでも物理防御のみに対抗できるのに対し、ウォーター系の特殊バリアは魔法にも物理にもどっちにも対抗可能で、しかも標準魔法のバリアとダブルかけが可能だったりします。

  アイテムをつかったバリアとのトリプルかけも可能だったりします。。(もうなにがなんだかw


さらに、ウォーター系には召喚魔法(ウォーターエレメンタル、通称「水エレ」をよびだして戦わせる)があったりします。


これがいちばんひよわさんなメイジとしてはありがたいみたいです。

  だって、戦わせてるあいだに後ろから魔法うちまくるーとゆー、ウォーロックさん的な戦い方ができるものねー。


そこまでされると、やっぱり大半の子はそりゃーウォーター系になっちゃうのかと思うのです。


でもですねー。

そのいっぽうでわたしが出会った「うわ、このひとつよ・・・」と思ったメイジのひとたちは、みんなファイア系さんでちた。


ウォーター系のひとって、たしかにうたれづよいとゆーか、なかなかちなないのですが、いっぽうでたたかっていてもあんまりこわくありません。

  一撃のコワサがないからかにゃ?


ファイア系のひとはとにかくとんでもない大ダメージがきたりするので、いっしょに戦っていると一撃必殺で敵をたおしちゃったりしますし、敵にまわすと 「はやくたおさないとやばひ」 というプレッシャーをひしひしとかんじるのデス。


  なにしろファイア専属のひとって、

   ひつじ(15秒行動不能) → パイログラフ(詠唱8秒) → ドラゴンブレス(3秒麻痺)
   → ファイアボール(詠唱3秒) → ファイアブラスト(0秒詠唱)

  とゆー致死コンボがつかえるのでー。


レベル60のわたしで、パイログラフの平均ダメージが、だいたい1200~1500。
ドラゴンブレスが700~800。
ファイアボールが800~1000。
ファイアブラストが700~800。
合計すると3400~4100ダメージ。

これだけだと、メイジはともかくほかの職業のひとたちはたおしきれませんが、ファイア系はクリティカルがでる確率がかなり高いので、3撃も撃てば、そのうちの1撃くらいはクリティカルになって、ダメージが×2となり、さらに追加ダメージが発生します(=ちーんっ♪)。


こうしてあれこれ日々クリティカルな攻撃を計算しながら生きている( = 対人ばっかり ( ^^; )わけなのですが、そんなわたしのさいきんの悩み事。


それは、

 「レベル60用のマウント」

のご購入資金でございます=w=.


むかーし、レベル40のときに買ったマウントは金貨100枚でございました。

このくらいの金額であれば、ふつーにダンジョンにいって、ふつーにバトルグラウンドして、ふつーにクエストして、ふつーに観光旅行して、生きていれば、自然と貯まるくらいのお値段だったりしまふ。


と・こ・ろ・が♪

・・・さ、さすがに「金貨500枚」となると、これはちょっとそーかんたんに貯まる金額ではございません。


なにしろレベルがあがってくると装備がみな高級装備になっちゃうので、一回出撃ごとの修理代もかなりシャレにならない金額になってきてしまうからです。

  だいたい一回につき、金貨2~3枚くらいかかるの。。


いろいろちょと思うところがあって、前にいたギルド『Pure Soul』さんから移籍した新所属ギルド『Naru Horde』さんで、なかよしさんなよしゅらさんやへるにゃんさんにちょとそのへんのところをおききしてみまちた(ねーねー


・・・おふたりとも掘り(=採掘、鉄とか銅とかミスリルとかとか集めるのことね)で軍資金を稼いでいるのだそーです(や、やっぱり!?


くぅ、とーとーここにきて、生産系をせざるをえないこ・・・と・・・・になってきたわね・・・(ぱたっ

  しょがないわん(しくしく;-;


ちょーっと、れべりんぐは中止(とりあえず60になったしー?)して、掘りがんばるかにゃ。。


あ!!!

で、でも、ずーっと、いきたいゆきたいっておもって、夢にみてた、LBRS(Lower Blackrock Spire)とBRS(Blackrock Spire)ダンジョンには、ぜったいぜったいいくからねっ!!!(それは別なのだっ
 
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  ハロウィンでのひとこま ~ こうもり 編 ~
   
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   ハロウィンでのひとこま ~ おばけ 編 ~
 
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   ハロウィンでのひとこま  ~ 続・おばけ 編 ~

就職氷河期世代の人たちにとって、団塊世代というのは許せない部類の代表格みたいです。


なぜなら、当時、大学(or 高校、専門学校、中学,etc)を卒業して、頑張ってこれから社会人としてやっていこう、育っていこう・・・と思っていた矢先に、その目前でいきなり、
 
 「あー、ごめん。
  いまちょっとヒトいらなかったりするのよねー」
 
または、
 
 「毎年100人とってたけど、
  今年は10人しかいらなかったりするのよねー」
 
みたいな、入ろうとしている側にしてみれば「ええええ!?」ってかんじのことを面接会場で言ってた張本人さんたちだからですね。


私の中にも確実にこのルサンチマンはのこっていて、なにか団塊世代のひとたちが困っている~みたいな記事(たとえば、熟年離婚だとか、年金問題だとか?)があると、
 
 「うふふふふ。
  ざまみー!!!!」
 
みたいな想いがこみあげるのは、これは否定できません。はい。


でも、一方で思うのですね。
 
 「トータル的にみて、一生を通して、他の世代に比べてお得だった!!!
  みたいな、そんな世代ってあるのかなー」
 
と。


たしかにバブル期入社のひとたちは当時すごいオイシーこといっぱいあったみたいです。

今では年間ほんのすこししか入社できないような大企業に、海外旅行とか一流ホテルでの接待パーティー付きで入社した先輩たちも知っています。

超難関といわれるようになった公務員試験も、当時はむしろ滑り止めレベルだったと聞きます。


そんな彼らをみて、そして、新卒応募者や中途応募者をゴミみたいに扱う団塊世代のひとたちをみて、氷河期世代のひとたちがあれこれと恨み辛み(=ルサンチマン)をつのらせるのも、これはまあごく自然な心の動きなのかなーと思います。


じゃ、彼らはずーっと、一生を通して、そんな風にお得な人生を送ってきたのでしょうか。

・・・というと、実はそんなことはなかったりします。


団塊の世代とは、その名のとーり、ちょーめちゃめちゃ人口というが子供の数が多かった時代に生まれたひとたちのことです。

学校では一クラス40人×10クラス以上、、なんていうのが当たり前で、人数が多いからあれこれすべての競争も厳しく、受験戦争が最も過酷だった時代も彼らが学生だった頃のことです。

会社に入ってからも週休一日が当然、午前様も当然、単身赴任して、家族は顧みず、ただひたすらに会社のために働けー、、、というのが当然、、というか、そうしないと人数がとんでもない世代だったので、競争に勝ち残れなかった、そんな世代のひとたちのことです。


確かに高度経済成長期で働けば働くほど年収も仕事のレベルも地位も社会的レベルもどんどん上がっていける時代だったので、今の低成長時代から振り返ってみれば、
 
 「あのころはいい時代だったよなー」
 
・・・ということになるかとは思うのですが、それは今思い出してみれば~というだけのことであって、当時実際にその場で働いて生きていた彼らにしてみれば、
 
 「めちゃめちゃ大変だったっちゅーねん!!」
 
 「いまなんてほんと楽だっちゅーねん!!!(なぜか関西弁)」
 
って、思ってしまうような、そんな時代に、就職してそして結婚して家庭をもち、子供を育て、家族を養い、生きてきた人たちです。


実際、団塊の世代の人たちが文部省において主導権を握るようになったときにまず真っ先にしたことが受験戦争の緩和であり、ゆとり教育の実施であったことを考えると、彼らがどれほど苦しい思いをしたのかがちょっとだけ察せられます。


団塊の世代のなかで成功した人たちは、バブル崩壊当時、強者でした。

自分たちの既得権益を守るために若者達の未来を犠牲にすることができるほどに強者でした。

いずれそのツケがかならずめぐってくる、、、という不安と罪悪感はあったにしても、誰かの未来や可能性、そしてそれまで目指してきたことを奪うことができる、というのはすごいチカラです。

だから、彼らは当時ものすごい特権階級でした。


でも一方で、そんな彼らのなかから弱い者順にリストラの嵐が襲いかかり、窓際族一名様ご案内の魔の手が襲いかかり、日勤教育がほどこされ、創業者をどこかの新興宗教みたいに神のようにあがめることを強制されました。

団塊の世代のなかでも成功しなかった人たちも大勢います。

他の世代に比べて単純な総数が多い分だけ、その人数も当然すごい大人数となりました。

彼らは日雇い労働者となり、ホームレスとなり、日本の最底辺労働を支える以外の生存方法はもはや与えられません。


バブル期入社の人たちはどうでしょうか。

これはあくまでもうちの会社での例なのですが、彼らは非常に高額の年収と高いキャリアルートを用意されて入社しましたが、実のところその実力(というか職務経験)にそれはみあうものではありません。

つまり、会社にとっては、現在となっては不良債権みたいな感じになっています。


わたしのいる会社は労働組合が非常に強いのでリストラこそありませんが、それでもその高額の給料を少しでも減らす為に、彼らはありとあらゆる手をつくしてその仕事を削られ、より低いポジションが創設される都度、そこに送り込まれています。

その状況に順応してしまった先輩たちは、

 「楽な仕事で、今までよりは下がっちゃったけど、それでも結構高額なお給料もらえるんだから、これでもいいやぁ」

というような感じで日々をすごしていますが、そう言いつつも、その顔にふっと不安がよぎります。


「今日、これだけ給料が下がった。
 次のときはどれだけ下がるのだろう」

そう思ってしまうのかな、と私は推測しています(ちがうかもしれませんが。


でもどちらにしてもあまり安定した精神状態ではいられないポジションだと思います。


いっそその実力に見合った地位と年収に戻れば、そんな思いもしなくてすむようになるのかもしれませんが、会社というものは階層構造ですから、ある特定の年齢層のひとたちにはそれなりの地位とそれに付随するふさわしい仕事をこなしてもらわないとなりません。

そうすると彼らはいまだいたい40歳代ですので、課長クラスの仕事をしてもらう必要があります。


課長というのは中間管理職の最たるもので、いっちばんたいへんというか責任重大なポジショニングです。


でも、彼らの多くは、そのポジションをこなすために必要な訓練を受けてきていません。

経験を積んできていません。

最初のとっても低かったハードルと、その後きたあれこれいろいろな混乱とそれによる繰り返される様々な業務ルールや社会ルール等の変更修正に翻弄されているうちに、年齢を重ねてしまっています。


いま一番リストラが多くて、自殺者も多いのが40歳代だそうですが、さもあらんーって感じなのです。


さて、団塊の世代の人たちは得した世代でしょうか。

バブル期入社世代の人たちはどうでしょうか。


就職氷河期世代でのろい系(とわたしはよんでいるー♪)のひとたちは、たぶん上記のお話をしたら、こう答えると思うのですね。

 「それはとにかくチャンスが与えられた結果としての話だ。
  われわれはそもそもチャンスすら与えられなかった」

と。


その通り。

それはたしかにその通りなのです。


ここで別の知り合い二人のお話をしたいと思います。

ふたりとも私の大学時代の友達なのですが、これより仮にAくんとBくんとしたいと思います。


AくんもBくんもわたしと同じ年に卒業していますので、就職氷河期まっただなかにぽーんっとほうりだされた同志(?)です。


このとき、二人はちがう選択をしました。


Aくんは就職先がないから、と、派遣社員になる道を選びました。

当時、派遣社員とか契約社員のくちはけっこーあったからです。


一方、Bくんは、社員数10人くらいの零細な中小企業に就職しました。

当時、ほんの数年前までであれば、大卒者が入社するなんて考えられなかった、そんなお給料も安く、労働条件もひどく、待遇も最低ランクな、そんな会社です。


それから数年した頃、ふたりとお酒をのみにいったことがあります。

そのときにきいたお話では、ふたりとも別にそんなにあれこれ未来への展望とかはなく、どちらかというと絶望とあきらめの結果としてのそれぞれの選択だったそうです。


そして、現在。

ようやく(すこしだけ)求人状況が改善してきた昨今。


Aくんはあいかわらず派遣社員をしています。

せっかく多少求人状況がよくなってきたので、かつて入りたいと思っていた企業群に再度応募してみたそうですが、書類選考すら通らなかったのだそうです。


正社員に応募する際、会社の人事部のひとたちは、

 「派遣社員 or 契約社員 or 自営業 をしていた期間は職務経験としてみとめない」

というのがその理由だったようです。


一方、小さい会社でながらも主任をまかされるようになっていたBくんは現在、ある超大手外資系企業でマネージャーさんをしています。

正社員に応募する際、会社の人事部のひとたちは、Aくんのようにあちこちの会社に次々に派遣されるのではなく、一つの会社でずーっとひたすら頑張っていて、そしてそれなりに評価されていたような、そんな人材がいま喉から手が出るほどほしいのだそうです。

なにしろ氷河期世代のひとたちの新卒採用当時は本当にごく少数のひとしか採用していませんでしたから、その年齢層のポジションがぽっかりいまあいてしまっていて、あちこちの会社はとても困っているのだそーです。

なので、いまBくんは彼らにとってはほしくて仕方がない人材となっており、長年勤めた会社を辞めて転職しようと、いくつかの人材紹介会社さんに登録に足を運んだところ、

 「えくせれんと!!!(とはいわないケドw」

みたいなことをどこでも言われて、入社試験を受けに行っても全部受かってしまって、どの会社に入社しようかととても困ってしまった、とのことでした。


AくんもBくんもわたしと同じ大学をでていますから、卒業当時の学力はそんなに違いがありません。

また、はっきりいって、要領がいいのも、どちらかといえばBくんではなくAくんのほうで、実際、Bくんが小さい会社で月収15万円くらいで働いていた頃、Aくんは派遣社員として月収30万円以上もらっていました。

なのでAくんは何度かBくんに、

 「派遣社員のほうが気楽だし儲かるよ?
  一緒に働かない??」

みたいなおさそいをしたことがあったそうなのですが、Bくんは当時会社でとても頼りにされていた(そりゃーただひとり高等教育受けた人だものね・・・)ので、ことわっていたのだそうです。


Bくんはべつに、

 「どんなに零細企業でもとにかく正社員でいなければ職務経験として認められないから・・・」

みたいなことを考えて、当時就職した訳ではありませんでした(きいてみた)。


AくんもBくんも当時はとにかくガックリしていましたから、半分自暴自棄な感じで、とにかく目の前にあった生活する道に進んだだけのことみたいです。

ただ、それが結果として、何年か経って、このような二つのことなる結果となったのでした。


もしあのときだれかが「正社員じゃないと~」的なお話をしていて、それを信じていれば、きっとAくんもBくんと同じ道を歩んだでしょう。

でもそんな助言はなく、又、もし仮にあったとしても、それをAくんが信じて自分の人生を決める際の参考としたかは、それはわかりません。


また、現時点では、AくんはBくんのことをみて、

 「うわぁー、いいなぁー。
  しっぱいしたよおおおおお。
  おれもBくんみたいにしてればよかったよー」

というようなことをグチっているのですが、さて、さらに何年かしたあともそうかどうかは誰にもわかりません。


ひょっとするとBくんは(ちょっと不吉なおはなしだけど。。)なにか会社でものすごい失敗をして、会社をクビになって、それで回状があちこちに回っちゃって、もう二度と就職できないようなそんなカラダになってしまうかも(ちょっとどころじゃないねーすごい不吉だねーごめんね、Bくん。。)しれません。

Aくんはひょっとすると派遣先として働いていたどこかのいい会社さんで、

 「キミいいねーうちにこないかい?」

みたいなことを言ってもらえるかもしれませんし、あるいは、一緒に派遣社員として働いていた仲間とともに立ち上げた会社の経営が軌道に乗って、小さいながらも重役として結構いい生活ができるようになるかもしれません。


未来のことはわかりません。

すべては「結果として」ですので。


結局、人生トータルでみた場合に、全部通してお得な世代なんてものはなくて、その時点その時点で「結果として」うまくいくひとといかないひとがいるだけのことだと、そう私は思っています。

そして、いまうまくいっているひとも、ひょっとして仕事ではうまくいってもへんな結婚しちゃって、たいへんな離婚とか慰謝料とかわけのわかんないことになるかもしれませんし、生まれてきた子供が障害児で~なんてこと今増えてるみたいですし、かといって、じゃ、結婚するのやめるーと結婚しないでいると年をとってカラダの自由がきかなくなったときに自分とはちがって結婚して子供をもうけた知人が成長したその子達に暖かく介護されているのをみながら一人寂しく老人ホームですごしている、、、という未来だって有り得るわけで、結局、やっぱり「結果として」だと思うのです。


ことわざに「人事を尽くして天命を待つ」ってゆーのがありますけど、アレがきっとこの何一つ確かな成功論のない不確かな世界に生きる私たちの、生きていく道なのだと思うのですよ。


いまでこそ神格化されている松下幸之助さんとかだって、最初から確信があって、ナショナルをあーゆー方向にもっていったわけじゃない(はず)ですしー。

そのときだって、松下おじーちゃんはそれはもう死ぬ気ではたらいた(はず)ですしぃー。

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