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こころのむくままきのむくままにげーむして遊ぶ日々
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そりはもーかんたん。

一流大学でれば、自然といい会社にはいれま・・・・す、とはいかないのが世の難しさ。

わたしは実際にそーいうひとをしっていますが、東大でてたってガードマンを仕事にしてるひといるくらいです。

どんなにいい大学をでてても、(筆記試験はともかく)面接で面接官に「この子いらない」と思われればとってもらえません。

バブルのころなら別だったと思うけどねー。

そのバブル期入社組の子たちも、いまは若年リストラ対象。

結局、実力がともなっていないと、駄目ってコトでふ(うう


だけどね。

大学に入るためにずーっと勉強するその勉強内容ってば、実社会の仕事にまったく無関係なわけじゃないけど、かといって それで実戦に入れるかというとそんな内容ではありませぬ。

学生の頃は学校の人気者で優等生、だったひとが、社会にでたら落伍者。

とかー。

逆のおはなしも、社会ではいっぱいありふれています。


もちろん、学生のころのまま社会でも高い地位を保ってる人もいっぱいいますけど、そーいうひとはみていると生まれがちがいます。

うまれがちがう、というのは、実家にお金があるとか、生まれつき高い能力(みためとか頭とかねー)をさずかってるとか、といったお話で、多数派のひとたちはこれにはあてはまりません。


じゃ、結局のところ、どうすれば確実に「いい会社」にはいって、いい一生を送れるのか?

でございますね。

一部の知識人のひとたちは「いい会社にはいることがいい一生につながるわけではない」といいますが、そりゃものごとには なんでも例外があります。

でもふつーに考えて、世の大半のひとにとっては、やっぱりそれがいちばん確実な幸せになるための近道でございます。


自慢じゃありませんが、わたしのでた大学は三流の国立大学です。

わたしはっきりいって勉強できました。

高校二年生までは・・・。

二年生の後半頃、まあ、思春期によくありがちなお話があって、そっちに夢中になってしまいました。

勉強なんて全然しなくなったですよ、はい(むー

そのひとには三年生になってすぐふられちゃったのですけど、そのあと現実にもどって愕然!!!

ほぼ半年くらいまーったく勉強しなかったわたし。

学力テストの結果はおそろしいくらいに下がり。

半年のブランクはとんでもない人生の現実をわたしにみせてくれました。

それまでわたしが勉強教えていた子に、逆に「ねえねえここって」と教えを請う日々。

うぅ。

おのれ、だましたなー(いあ、ちがうけど

いまかんがえれば、あのひとがわたしのことをふったのも、理由がわかります。

わたしはただ夢におぼれていて、全然現実からにげていました。

あのひとはちゃんとわたしとつきあいながら勉強もしていました。

ほかにもいろいろ努力していました。

でも、わたしは楽しくて楽しくて、あのひとのその邪魔ばかりしていました。

あほです。

そりゃーふられます(あほ女だから!!!

しくしく(タイムスリップできたらにゃーって、したくないわんっ!!!!きー


わたしにはひとつの夢がありました(ほかにも

それは「婦警さん」になることでした。

うちの兄は番長です(うわー・・・

そんなバイオレンスな兄は、小学校低学年のわたしにいきなし空手を習わせました。

段をとると、つぎに強制的に柳生流剣術を習わせました。

なにかんがえてたのかうちの親は反対しませんでした(なぜ!?

いちおー文学少女の仲間だったはずのわたしは、高校の頃には立派なバイオレンス少女になっていました。。


バイオレンス少女はしかしながら不良にはなりませんでした。

かわりに、風紀委員になりました(反面教師よ。おにーちゃんありがとー♪

そして、一生風紀委員したいとおもいました(うわぁ


警察官採用試験を受けるには、高校卒業以上かまたは大卒かで選択できます。

親戚に警察官してるひとがいると受かりやすい、というお話を聞きました。

わたしにはそんなひといません。

近所のおじさんで元警察官(汚職かなにかでクビになって、不動産屋さんしてるひと)がいました。

このひとのお話によれば、「高卒の警察官は大卒の警察官に犬のように扱われる」とのことでした。

いぬ!?

いぬはやだー(わーん!!!

大学に行こうとおもいました。


とにかく大卒ならなんでもいいのよねーと思って、センター試験後、いちばん受かりやすそうなところに願書だしました。

あっさり二次試験受かりました。

はれて大学生になりました(ばんざーい


そして、4年後。

警視庁警察官採用試験を受けました。

一次試験楽々とっぱ(この4年間はしっかり勉強してたのだ。ほほほー

二次試験の運動系も楽々とっぱ(身体が資本よ!!!

そのあときたのが、運命の面接試験でした。


・・・。

わたしはうそがつけないひとでした。

いまのわたしなら当時のわたしにこういってアドバイスするでしょう。

「うそひとつつけない人間が、会社の(このころなら社会の)役にたつと思う?」

「たかが15~30分の面接試験の場で、相手に自分をきちんとアピールすることすらできない人間が、会社の役にたつと思う?」

うそをつけないわたしは。

ありのままに日頃思っていることを面接官の人にいいました。


ドラマではよく、こーいうことをするひとが、面接官の人に感銘を与えるみたいな場面があります。

でもそんなこたー実際の面接では(ほぼ)ありえません。

面接官の人は、わたしたちが言ってることがほんとかうそかなんてどうでもいいらしい(と、人事のひとが言ってた)のです。

ただ自分がなにをききたいのかをきちんと察して、それに即した解答をどれだけうまいことできるか?

つまり、場を読む力、あるいは自分をアピールする力、つまりはどれだけ人格が練れているか、をみているのだそうです。


人格が練れていない人間など組織には必要ありません。

そして、その時点で能力が足りなくても、人格さえきちんとしていれば、あとでいくらでも学んでいくことが出来ます。

ここでいってる人格とは、「いいひと」の人格ではないそうです。

わたしが会社で仕事をするようになってから、ある先輩からこういわれました。

「善人は自分だけを幸せにする。自分は善人であることに満足できるから。
 でも、悪人は自分と他人は不幸にするが、身内を幸福にする。
 きみはどちらを選ぶ?
 生きていく以上、どちらかしか選択肢はない」

このころのわたしは前者でした。

面接に落ちました。

そのあと、あわてて民間企業を受けましたが、ぜんぶ落ちました。

当然です。

いまのわたしは面接のための指導を人事のひとからまかされることもあるくらいですが、そのわたしからみて当時のわたしの

面接なんてみられたものじゃなかったと思います。


そして、わたしがなんとかはいることができたのは、当然「ひどい会社」でした。

あるシステム開発の零細企業。

大手企業の3~5次下請けくらいのところです。

残業代は一銭もでません。

でも残業時間は月150時間くらいありました(もっとかも?

親会社のひとたちからはバーのホステスみたいに(実際みたことないけどw)扱われました。

当時はセクハラだめよ関係のお話とか全然ありませんでした。

といっても、身体をさわられたりとか、そーいったことはさすがにありませんでした。

でも、そのころの直属の親会社の上司(わたしたちは課長と呼んでいた。別に役職かちょーじゃなかったのだけど・・・なんとなく?)

には、ろこつなくらいに誘われました。

ことわるたびにへんな仕事押しつけられました。

ほんとにじょーだんぬきで殺してやろうかと思ったこと何度もあります。。。


そこで登場するのが先述の先輩でした。

先輩というか、契約社員のひとなのですが、まあ実際の感じは正社員も契約社員も変わりません(零細企業だしね

彼は小学校すらでてないひとでした。

いろいろすさまじい生い立ちを経てきているらしく、普段はおだやかなのですが、たまに発する先述のような言葉はものすごく重みがあって、胸にぐっさりときました。

あとできいたお話では、もうほんとに社会の最底辺のようなお仕事(893がらみ系からなにから)もしたことがあったそうなので、

たぶんコロスかコロされるかって世界も経験があったのでしょう(たまにすごいオーラをはなつときがあったの


先輩はわたしをいぢめました。

いぢめるといっても、課長とはちがい、理不尽なことはありませんでした。

ただそのときわたしができる仕事より、かならずつねにすこしだけ上の仕事を与えるのです。

そして、わたしがそれを(当然)できなくて夜遅くまで残業してると、それにつきあってくれました。


(残業代もらえない)正社員のわたしとちがって、先輩は残業すればするほどお給料が増えました。

なので、わたしに面と向かって、「おかげで今月はほくほくだ」みたいなことをいいました。

このやろーと内心思っていましたが、でもこの先輩がわたしは好きでした。

たぶん生涯ふたりめの好きになったひとだと思います。


残念ながら先輩はすでに結婚していて、お子さんが5人もいました(しくしく。。。子だくさんだしぃ。。

奥さんは東北のほうの旧家のひとで、家族写真をみせてもらうとすっごい大豪邸に住んでいました。

「どうしてこっちで仕事してるんですか?」とわたしがきくと、「こっちのほうが給料がいいから」とか、いろいろ理由はありました。

でもこれもあとで知ったのですが、先輩のお父さんが病気で、いい病院が東北にはなかったのですねー。

お母さんのことは絶対に先輩は話してくれませんでした。

なんとなく察するところがあったので、わたしも絶対ききませんでした。


先輩にきたえられているうちに、わたしはいつのまにかたいていの開発言語が使えるようになっていました。

警察官になろうと思っていたわたしです。

コンピューターなんてコの字も(はおおげさかな。。。でも、パソコン通信くらいしかできなかた)しらなかったわたしは、それなりに

親会社のひとたちから評価を受けるくらいになりました。


プログラマーとしてのレベルは満たしたので、つぎに先輩はシステムエンジニアとしてのお話を教えてくれるようになりました。

先輩の教え方というのは基本的にはすごいスパルタで、とにかくいきなりその仕事にほおりこむのです。

そして、失敗させます(わざとさせるわけじゃないけど、するにきまってるよねー。

ただそこで先輩がほかのひとたちとちがったのは、先輩はそこで「失敗したことを書いてね」と言うのです。

書く・・・?


「人間は書かないと覚えない」というのが先輩の持論でした。

いろいろな参考書に書いてあることも、赤線ひくだけじゃだめで、「必ずどこかに書き直してね」と言うのです。

めんどいなーと思いながら書いてましたが、これがあるときすごい効果をもたらしてることにきがつきました。

たしかに、書いたことだと、ぜんぶ覚えているのです。


しかも先輩は失敗したことを書いた後、その解決策(by先輩)も書いてねーと言いました。

がんばって書きました。

そのうち、わたしは先輩の思考回路のようなものをみにつけるようになりました。

言葉にするとちがってしまうのが難しいのですが、プログラマーとシステムエンジニアの違いがわかりました。

どれだけ多くを知っているか、がプログラマーの力の源のひとつです。

でも、システムエンジニアの力の源は「考え方」でした。

考え方というか、「***ということがあったときは、さいしょにまず***をして、つぎに****をすべきであろう」というその思考の流れ方です。

こればっかりはどんな参考書を読んでもだめですし、そもそも解答も100人いれば100通りです。

ただ、やっぱり近似値というか、それなりの範囲内での解答が現実に即している場合が多いので、毎回とにかく仕事に投げ込まれて失敗し、そのとき自分がだした解答と先輩の解答の差異を教えてもらう、という繰り返しはものすごくためになりました。

もちろんこれはあとで自分がかつての先輩の立場になったときにちょっと微笑しながらわかったことで、当時はそれどころじゃありません。

ただ、あえて未経験の仕事を任せることで、そして当然失敗させることで、そのときのお客様がどれだけ忍耐強く待ってくれたか、を 教えて貰うことで、言葉だけではない実感としての「お客様を大切に思う気持ち」は生まれますし、それはもう経験するしかありません。


先輩の思うつぼ、という感じだったですねー。


そしてある日気がついたのです。

「あれ、わたしのほうが親会社の担当者のひとたちよりも、能力上じゃない・・・?」ということに。

慢心してるのかなーとおもって、先輩にそれとなくきいてみました。

「あたりまえですね」と返されました。


そう。

命じられるままにシステム開発における理不尽をすべて押しつけられて月300時間近く働き続けなければならない下請けの人間は、やがて親会社の担当者さんたちよりも必然的に能力が上がってしまうのでした(おお!?

そのことを経験豊富な先輩はよくわかっていて、ただ、ふつうはそこまでいくまえに逃げちゃうのだそうです。

それを先輩はわたしに(あえて)許しませんでした。


後輩の子がはいってきても、その子にわたしがそれをさらに押しつけることを絶対に許しませんでした。

正直、他のチームのわたしの同期のひとたちはすでにそうしていましたから、先輩のことを恨んだこともあります。

それでも、先輩はむしろ後輩の子が本来ひきうけなければならないはずの理不尽までもわたしにさせ続けたのでした。


ある日、先輩はわたしに「転職活動しなさい」みたいなことを言って、会社との契約を終了してしまいました。

何回かそのあと待ち合わせてごはんたべにいったりはしましたが、もうそれだけでした。


先輩がいなくなった会社は急につまらなくなりました。

それまで我慢できた数々の理不尽が全部我慢できなくなりました。

わたしは行政書士の資格を持っています。

労働基準法それなりに知ってます(みんな知ってると思うケド

時間外労働賃金、休日労働賃金、そして有給休暇。

約束されたそれらはわたしたちにはすべて支払われていませんでした。

わたしは労働基準署に証左となる勤務月報すべてをもって駆け込み、俗に言う「匿名の調査依頼」をしました。

会社は査察を受け、わたしたちにすべてを支払いました。

このときの経験は、のちの行政書士事務所でのアルバイトに大いに生きることになりました(これも先輩のおかげよねー・・・はうう♪

全社員と退職社員への過去2年間分の全額一括支払いはかなり苦しかったみたいで、その後、会社の売上額は明らかに落ちました(時間外手当の請求権は2年が時効

まえとちがってきちんとイロイロし払わなければならなくなったので、同じように仕事を受けられなくなったからです。

そこで会社は別作戦を立てました。

裁量労働制、みなし残業制、残業手当の一定料金化、などです。

これらは合法的にサービス残業を社員にさせるための方法でした。

わたしはこれには対抗しようがないことをよく知っていました。


転職活動開始。

よく転職活動をいまの会社を辞めた後にする人がいますが、これは絶対にしちゃだめなお話です。

転職活動をしながらする前と同じ仕事なんてできるわけがありませんので、当然現職の会社からは「さいきん仕事に身が入ってないな」みたいなお話はでて、怒られたりイヤミ言われたりはするでしょう。

でも、いい会社に巡り会うには、タイミングと運が必要です。

すぐ巡り会うことができるひともいれば、長くかかるひともいます。

その間ずーっと無収入(あるいは低収入)だったら、あせって、いい会社に巡り会う前に内定を決めてしまいます。

それだけはしてはいけません。


有給とりまくりました。

病気にもいっぱいなりました。

会社はあやしんで、でも「きみ会社やめるの?」とも言い出せないみたいで、急にわたしの美しい未来像みたいなことをよく言うように なりました。

何年後かには幹部になってほしい、みたいなお話がでました。

やたらと飲みに誘われるようになりました。


そして、ある会社様からご内定を頂きました。

お客さんとシステムエンジニアとして折衝しているうちに、うそもつけるようになったからです。

うそ、というのは、本当の意味でのうそではなくて、つまりはセールストークという意味です。

システムエンジニアとしては自分の所属する会社を売り込むためのセールストークをひたすらしてましたが、それを自分に応用するのは ごく簡単なことでした。


年収が一気に増えました。

あたりまえです。

いままではシステムエンジニアの仕事をしていながら、プログラマーのお給料しかもらってなかったのですから。

時間外手当をいただけるようになったのですから。

それ相応の基本給と、その他諸々の手当を頂けるようになったのですから。


わたしは急速に「年収を上げる」というゲームが楽しくなりました。


そう、これはゲームです。

なぜなら、現実の世界では、べつに能力があるから年収が高いわけでも、能力がないから年収が低いわけでもない、ということがよく わかったからです。

要は自分の立ち位置の問題、所属する会社の問題、ただそれだけなのです。

おなじ能力があっても、目の前に差し出してもらえる仕事の内容が儲からない内容なら、年収は低い。

儲かる内容なら高い。

ただそれだけのこと。


もちろん、その仕事をこなす能力がなければ、高い年収もらえません。

大学卒業したばかり(あるいは卒業予定)の子たちが、将来的にそのこなす能力を身につけられるかどうかはまったくの未知数です。

ただ、身につけてくれる人材の補充は会社としてはどうしても必要です

だから、できるかぎりその可能性の高い新入社員がほしいと思うから、会社はより一生懸命勉強しないと入れなかったはずの大学の 子たちをほしがるし、手を変え品を変え謎な心理テストをし、試験をし、そして面接をするのです。


でも、目の前にすでにその能力があることを(過去の実績で)証明している人材がいるとします。

そのひとの卒業大学が三流であろうと、前の会社が下請けの下請けのまた下請けの名前も聞いたことのない零細企業であろうと、 そんなことは会社にとってはどうでもいいことです。


そしてわたしは、かつての就職活動時代には書類選考すら通らなかった会社の社員となりました。

その後も、次々にわたしは転職を続けました。


はっきり言います。

おなじ会社で3年頑張るよりも、いいところがあればどんどん転職しちゃったほうが、年収は上がります。

こりはあたまもわるくて要領もわるすぎなわたしが身をもって証明した事実です。


転職というとちょっと語弊がありますね。

職変わっちゃ駄目です。

おなじ職種で、ただ、前よりもランクが上の会社に籍を移すだけです。


先日、わたしは最初の会社の頃の同僚にばったり会いました。

どこで?

協力会社(よーするに下請け会社)から送られてくる協力要員(・・)の選考というか面接というかチェックというかの場でです。

わたしが面接する側で、そのひとが面接される側でした。

どっちもそのことは全然知らなかったので、会ってびっくりでした。

でもココはビジネスの場。

そんなことはおくびにもださず、びしびしと過去の経験とかスキルとかを問いつめました。

そのひとは敬語でした。


ちなみに、かつてのわたしはそのひとの1年後輩でした。

いまは上司というか、親会社というか、上の会社の社員です。

そのひとにいくら単価を支払うのかもわたしが決めます。

単価表をみました。

会社に対していくら時間当たり払うのか、1プロジェクト当たり払うのか、がわかれば、そのひとの年収額もわかります。

いまのわたしの半分あるかないかくらいでした。

さすがに直属の上司になるのはちょっと気まずすぎるので、そのことについては事情を上のひとたちに説明して、許してもらいました。


いい会社にはいることは、やっぱり(たぶん)いい人生につながると思います。

お金はないよりはあったほうがいいです。

悪人になりましたが、それでも・・・。

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 問題:
  これから新しいシステムをつくるときと、既にあるシステムを改修したり作り直したりするとき。
  どっちがより大変でしょうか?

 答え:
  後者。

たぶん技術者のひとならだれでも、

 「いままで存在しない新しいモノをつくりたい」

という想いのほうが強いと思います。

それならば自分のポリシーや感性、あるいは好みにもとづいた作り込みができるからです。

しかし、現実のシステム開発においてはその大半は「だれかが昔つくったシステムを元に・・・」的なお話だったりします。

ということはいろいろあれこれ言われてはいますが、実際問題として技術者に(限らないかもしれないけど)最も求められるスキルとはなにをさておいても「目の前に存在していて、動いているものを理解する」技能である、ということになるかと思うのですね。

これがねーちょーたいへん。

だって、自分とは思考回路がぜんぜんちがう他人の考えたロジックなのです。

「わたしだったらこうつくるのになー」という疑問というか文句をつねにぶつくさいいながら「分析」そして「理解」というひじょーに地味で 退屈な作業をすることになります。

プログラマーになったばかりの頃。

そのころは、みるものきくものすべてがはじめてなので、素直に(ある意味では単純に)そうした旧システムをみて感動したり、一生懸命に覚えようと思うだけでした。

でもすでにそれなりの経験を積んできて、自分なりの考えをあれこれもつよーになった現在。

旧システムをみると(まったく感動したり感心したりしないわけではもちろんありませんが)基本的には「えーなんでー?」という考えのほうがまず頭に浮かびます。

システム開発の世界でひじょーに根強い考え方のひとつに、

 「プログラマー35歳限界説」

というのがあります。

わたしはまだこの年齢まではかなり猶予が残されているのですが、それでも、思います。

ここでいうところの35歳でダメになる、というのは、ひょっとして頭の働きがーとか体力がーとかとかみたいなそんな物理的なお話ではなくて、 (もちろんそれもあるでしょーけど)いっちばんの原因は「自分の考えができる」ことにあるのではないかなーと。

プログラマーさんというのは、基本的にただ言われるままにプログラムをつくるひとのことです。

言われるままに、ということは、つまり、自分の考えをもたない、とゆーことをそれなりに意味します。

逆をいえば、ずっとプログラマーをして、いろいろなシステムをつくったり経験して、そしてヒドイ目にあったり素晴らしいシステムを完成させた喜びに出会ったりしてるうちに、ふつーのひとは自分の考えをもつよーになるはずだ、ということでもあるかと思います。

それでもたないようなひとはシステム屋さんとして困るよ?、ということなのではないかな、と思うよーになってきたのです。

 「わたしならそんなことはしない」

最近、そう思うことがとても増えてきました。

それはつまり「自分の思うようなシステムをつくりたい」「自分のしたいことをしたい」とゆーことでもあります。

まだ学生だった頃に思っていた気持ちととても似てはいますが、同時にまったく似ていない気持ちでもあります。

学生のころはそもそも自分がなにができるのか、なにがしたいのか、何者なのか、それが確定していなかったので、どちらかというとそれは「まだ確定していない自分を確定させたい」という目的の為であった気がします。

でもいまのこの気持ちは、

 「自分は確定した」

 「自分は○○という存在である」

 「だから、自分は□□をしたい」

という感じなのだねーと思うのですね。

あーこれがつまりは「プログラマー(=ひとに言われたものをつくるひと)」から、「システムエンジニア(=自分で考えるひと)」になることなのだなぁ、、といった感じです。

ほんとは、自分で考えて、自分でつくりたい、のだけどねー。

わたしが考えたモノと、いくら説明しても違うモノをつくるプログラマーのひとたちにかなりいらいらしてたりもしますw

つぎに必要な技能は「自分の考えを人に説明して伝える」「伝えて、思い通りに動かす」技能というか段階だわねえ。

はっ!?

ひとをおもいどーりにうごかす。。(それって!!!

ある日、メールチェックをしていたら、会社名義のほうじゃなくて個人名義のほうに一通の謎メールがはいっていました。

「ん?」と思い、念のためウイルスチェックをしてから、なかをみてみました。

"首都圏コンピュータ技術者協同組合"というところからのメールでした。

「今度名古屋に進出しました。
 優秀なエンジニアの方を募集しております。
 もしお時間がございましたら・・・・」

みたいな内容でした。

そもそもこの会社(なのかな?)がナニモノなのかがよくわかりませんでしたが、文面からするとつまりはヘッドハンティングです。

インターネットでこの会社(?)について調べてみたところ、

「これからの時代はフリーランス」
「組合員の平均年収63万円」
「自由にスキルアップし、自由に生きませんか?」

といったよーな情報があれこれでてきました。

フリーランス。

要するに自営業のことなのですが、ことがエンジニアになるとちょっとお話が違うみたいです。

普通の自営業のひととは、ナニカを売ったりとか、ナニカを営業したりとか、まーそんなかんじで売り上げをあげて、利益を得ようと頑張るわけですね。

ところが、エンジニアの場合には、そうした元手というか準備金のようなものがほとんど必要ありません。

手に職、といいますか、ただ「できる」ことそれだけで商売になるよーなところがエンジニアにはあります。

そのためエンジニア関係の会社で一番お手軽で儲かるのが「人足商売」と俗に呼ばれる派遣的なお仕事なのですが、だれかにそうしてお金をピンハネされちゃうよりも、ぜんぶ自分でもらっちゃいたい、とゆーのがこのひとたちの基本姿勢らしいのです。

ふむふむ。

たしかに、1案件につき、わたし7000万円の案件とか3億の案件とか最近あつかってます。。

そのうちのどのくらいが利益というか報酬になるのかはわかりませんが、わたしの年収を考えてもそうした報酬のかなりの部分はたしかに会社にいっちゃってるのはたしかです。

でもねー。
それって、わたしひとりでとてもこなせるお仕事じゃないし、そもそもわたし個人にきたお仕事でもないのです。

ただ、会社にきたお仕事を、たまたまわたしがリーダー(というほどのものでもないケド)担当してるだけのことでー。

ま、でも、自由契約になれば、収入が増えそうな気はするわね(うにゃ

土曜日。

さっそくこのメールに添付されていた地図の場所に行ってみました。

なかなかおしゃれなビルの一室。

とってもちっちゃいお部屋ですが、なかには高そうなおっきいテレビだのパソコンだのもおいてあって、なかなかです。

もしこれが正社員募集の会社さんだったら、このスペースで社員が仕事できるわけないですから、120%派遣業まちがいなし!!! とゆーことでバックレーしちゃいます。。

でもここはあくまでもフリーランスという名の個人開業エンジニアさんたちがただお仕事をもらうためだけの場所。

これでいいのかもしれません。

説明会が始まりました。

ちょっとかっこいいお兄さんと、みょーに熱血そうなおぢさんと、説明員さんは二名。

 ○仕事依頼元の企業様との契約内容はすべて完全公開します(=ガラス張り)

 ○組合の取り分は契約によって支払われる金額の3~7%です。

 ○これまでの名古屋拠点における登録者への仕事紹介率は100%です。

なるほどー。

なかなかわるくなさそうなお話ではありますが、わたしはとても疑い深かったりします。

まず第一に、その契約そのものが「2枚目」でない保証はあるのかな?

つまり、すでに裏で組合と依頼元が別契約を結んでいて、組合員にはそれを見せずにもっと安い金額の契約書をみせていないという保証はあるの?(するどいつっこみその1w

第二に、その金額の根拠はなあに?
「**にいくらかかります、
 ****にいくらかかります、
 だからこれこれこれだけは組合に入れて頂いて、
 残りは組合員様方の取り分です」
というのならわかるけど、一律で(しかもパーセントで!?)とるのってへんじゃないですか??

たしかに派遣の場合には企業から支払われているお金の50%近くを持っていく場合が多いので、その意味では良心的といえなくもないかもしれませんけど、そのかわり派遣会社の場合にはそれなりに福利厚生があります。

でも組合さんは「組合」だからそういうのは最低限しかないんでしょ?

そして第三に、第一そして第二ともにそうですけど、きちんとした証拠を見せてもらわないと信じられません。
登録者の方の個人情報の問題がありますから、そこは墨塗りで結構ですから、ちゃんと今現在の登録者の方々の稼働状況や過去の 勤務実績、それから報奨の受け取り実績を見せてください。

・・・いずれもきちんとした回答は返ってきませんでした。

帰りますねー?(にっこり

ばかばかしい。

いまの安定してそれなりに年齢的にいえば高水準な方の正社員の地位を捨てて、そんなあやふやなお話にのったりしないよー。

その後、いろいろ調べてみました。

首都圏コンピュータ技術者協同組合の組合員の人たちの平均月収が60万円以上。

これは本当のことらしいです。

というか、そもそも、フリーランスでそこそこちゃんとスキルのあるひとは、最低でも月60~80万円くらいはもらえるらしい?

単純計算すれば、年収720~960万円ということになって、これはなかなかの高収入かなとたしかに思えます。

しかし!!!

これはあくまでも額面上の金額。

まずフリーランスのひとたちが支払わなければならない健康保険の額は、正社員の5~6倍なのだそうです。

これは正社員が入れる健康保険と自営業者の健康保険では、支払額が後者のほうがはるかに高いことと、プラスアルファ正社員の 場合はその半分を会社が支払う義務があるからなのだそーな。

また、正社員の場合は年収の三分の一が無条件に税における控除対象となりますが、自営業者は50万円ちょっとまでしか控除対象 になりませぬ。

さらに正社員にはそのほかにもいろいろな控除が用意されていますが、これらも自営業者には一切認められないのだそーな(はう

それらを総合すると、ぢつは自営業者は、

 「正社員の倍の年収で、正社員と同じくらいの手取り」

なのだそーです(なにぃ!?

つまりー。

年収600万円の正社員と同じ生活をしようと思ったら、年収1200万円・・・つまり月100万円稼ぐフリーランスじゃないとってこと!?

じゃ、じゃあ。
平均で60~80万円しか稼げない大部分のフリーランスのひとたちは、正社員よりも待遇わるいんじゃん。。(なんじゃそりわ

そんなことひとっことも説明員のひとたちいわなかったじゃん!?

それでもって、労災がないから病気やけがになっても生活保障ないし、失業保険もないし、年金は国民年金だからもらえる額が安いし、 おまけに年老いて仕事なくなったら終わるし、退職金もない、、、と!!!!

新手のマルチ商法と変わらないわねー(はうあう

どーかんがえても正社員のほーがイイと思うのだけど、フリーランスになったひとたちってなにかだまされてない??

まあ、時間がけっこーゆーずーきくとか、イヤな上司いたらすぐにげられる、、、のかな?だめなんじゃないかな?(信用なくすし

いったいフリーランスのなにがいいのかさっぱりわからなくなりまちた(笑)

さ、会社いこーっと♪(なにごともなかったかのよーにっ

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